読書感想文の書き方やおすすめの本を紹介しています。


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遠藤周作 沈黙

沈黙 遠藤周作


あらすじ
日本に派遣されていたフェレイラ司祭からの音信が絶えた。不明確な情報としては、フェレイラ師が拷問に耐えきれなくて改宗したというものだった。

ロドリゴ司祭、ガルペス司祭ら3人の司祭は教会が止めるのにも耳を貸さず、日本に渡ることを決意する。
船旅の途中で、司祭の一人が病に倒れ、結局日本に足を踏み入れた司祭は、ロドリゴとガルペスだけだった。

2人は船の中でキチジローという青年と出会う。キチジローは弱気な青年だが、海が荒れたりするたびにマリアの祈りを述べることがあった。それをみたガルペスは、キチジローにキリスト教徒なのかと尋ねるが、キチジローは否定する。

海岸にロドリゴとガルペスを迎えにきたのは、トモギ村のキリシタンだった。ロドリゴとガルペスはトモギ村の村人達が、どのように信仰を守っているかということに驚きながらも、トモギ村のキリシタン達に世話になりながら日本での暮らしを始める。

実はキチジローはトモギ村の村人だったのだが、転んだことがある(踏み絵を踏んだことを意味し、改宗したことを意味する)のだった。

ロドリゴとガルペスが日本に渡ってこられたのは、まるで自分のことのように自慢するキチジローであるが、その反面、キチジローは役人にロドリゴ達の居場所を知らせたりして司祭達を裏切るのだった。

ロドリゴとガルペスが役人に捕まるが、同じくとらえられたキリシタンの村民は拷問によって命を落とす。

司祭達を何度も裏切りだますキチジローであるが、それなのにロドリゴに懺悔しようと何度もロドリゴの前に現れるキチジローを、ロドリゴは軽蔑する。

キリシタンが拷問される様子を見ながら、ロドリゴはキリシタン達に「転んでもいい、転んでもいい」と思いながらも、棄教してはいけないと思うジレンマにさいなまれる。

あるキリシタンがこもに巻かれて海に投げ込まれたとき、ガルペスはいても立ってもいられず、海に駆け込んでいき、波に飲まれて死んでしまう。

ある日長崎奉行所のはからいで、フェレイラ師と対面することになるが、フェレイラ師は既に司祭の姿ではなく、僧形になっていた。そして、耳の後ろにある引き攣れた傷をロドリゴに見せるのだ。それこそが穴吊りとよばれる拷問でできた傷だという。

フェレイラとロドリゴの師弟関係が戻ることはなかった。

それまでの比較的丁重な扱いから打って変わって、馬小屋のようなところに閉じ込められたロドリゴは、暗闇の中で壁伝いに聖句が彫られているのを発見する。それはフェレイラが彫ったものだった。

また、外からいびきが絶えず聞こえてくるのに気づき、最初は役人が居眠りをしているのだろうと、一笑にふしていたが、その声はいびきなどではなく、穴吊りという拷問を受けている村人のうめき声だった。

拷問を受けている理由は、改宗させるためではなかった。

すでに穴吊りになっている者は転んでいたのだ。ロドリゴが改宗すれば、拷問にあっているものを助けるが、改宗しないのであれば、そのまま拷問を続けると役人にいわれる。

拷問を受けている村民を助けたければ、キリストのメダイを踏めといわれ、ついにロドリゴはキリストを踏んでしまう。

その後日本人の名前を与えられ、住まいを与えられたロドリゴのところに再びキチジローが姿を現す。

ロドリゴはそんなキチジローを「許す」のだった。



ポイント
沈黙という作品は、単に江戸時代のキリシタンを扱った作品というだけでなく、母親の真摯なカトリック信仰に背いてきた遠藤周作自身という背景も持っている。

著作は長編ではあるが、最初の方は書簡であるし、キリシタンやキリスト教に興味のある人ならば、ぐいぐいと引き込まれていく作品だと思われる。

この作品をもってして、遠藤周作氏がノーベル文学賞候補になったところをみても、読んでおいて損のない作品といえるだろう。

沈黙 (新潮文庫)
沈黙 (新潮文庫)
おすすめ平均
stars宗教に関係なく、強く印象づけられる作品
stars究極の挫折と、究極の愛の追体験をした
stars作品の構成の上手さ
stars信じる者こそ救われない
stars「沈黙」がテーマでは無く

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阿Q正伝 魯迅

清朝末期の中国を阿Qの中に強烈に批判した作品ー阿Q正伝 魯迅



あらすじ


清朝末期、中国に阿Qという人物がいた。彼は住居も持たず、地蔵堂に住んで、たまに人の手伝いをしては、小遣い程度の駄賃をもらって生活していた。

村人はそんな阿Qをいじめ、馬鹿にしたが、阿Qは傷つかなかった。
ことさら阿Qが強い人間だったからではない。彼には精神的勝利法と忘却術があったのだ。

しかしながら、その精神的勝利法と忘却術があるが故に、傷つくこともなかった代わり、進歩することもなかった。

阿Qはちょくちょく事件を起こしたが、みんな「どうせ阿Qがやったことだろう」といって相手にもされなかった。ただ、ある女性に手を出したときには大問題になってしまい、村を追い出されてしまった。

それから数年たち、小銭を貯めた阿Qは村に帰ってみんなを見返そうとする。

最初は村人も阿Qをちやほやしたが、阿Qが泥棒の手先になっていたことを知ると、また元の阿Qに戻ってしまった。

すると今度は辛亥革命が起きる。革命の余波は阿Qの村にも及び、旦那衆は大慌てである。
旦那衆をやりこめるいいチャンスだと思った阿Qは、革命が何かも知らずに「革命家」に変身する。

ある日、村の名家が強盗に襲われる事件が起こると、犯人は阿Qだとされ逮捕されてしまう。
そして、村人が見渡す中で刑が執行されてしまうのだった。


着目点
一見、中国の最下層の人間の愚行を描いた小説かと思うが、実はそうではない。
魯迅は、阿Qという人物に中国を同時に映し出していたのである。
だから、これを読んだ同時の中国人は「痛いところを突かれた」わけである。
それならば、中国人には歓迎されなそうなようなものだが、この作品はとうの中国で歓迎されたことを忘れてはならない。
つまり、魯迅は単に、列強諸国にほしいままにされている中国を批判しただけではないのだ。
そこには深い愛があった。祖国への深い愛である。
「是とするものを擁護するのと同じ熱烈さで、非とするものを批判しなければならない。愛するものを抱きかかえるのと同じ熱烈さで、いや、もっと熱烈に、憎むものを抱きかかえなければならない」といっているのは、魯迅本人である。つまりこれは「熱烈な愛がなければ人を攻撃してはいけない」といっているのと同じである。
魯迅はこの「阿Q正伝」という作品で、みごとにそれを実践した作家であるのだ。


ポイント
魯迅の作品では「故郷」のほうが教科書に載ることが多いかもしれない。
阿Q正伝は比較的短い作品で、また読みやすい。
この作品のポイントは、着目点のところでも書いたように、阿Qという男と中国という国を重ねて書いているところである。
ということは、少なくとも、歴史がそれほど得意でない人は、清朝末期の中国を含む歴史をざっと見返してから読むと、魯迅の言いたいことがとらえられやすいと思う。


阿Q正伝 (角川文庫)
阿Q正伝 (角川文庫)増田 渉

おすすめ平均
stars吶喊
stars時代は変わる、でも人の心は? 社会は変わる、でもこの「私」のふるまいは? 魯迅の世界は倫理の鏡
stars魯迅は何を描こうとしたのか?
stars今こそ読み直すとき
stars現代に通ずる鋭い社会批判

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桜の園 あらすじ

桜の園はロシアの作家チェーホフ(1860-1904)の書いた戯曲です。


戯曲というのは、小説とは違い、演劇を行うことを前提として書かれる脚本のようなものです。


チェーホフは短編の名手との異名をとるほどの作家ですが、桜の園は戯曲として世界的に有名な作品でしょう。


しかしながら、ロシア文学に連想しがちな「暗い、重い」というイメージとは少々かけ離れています。


演劇の脚本という性質上、本を読むよりは演劇を見た方が分かりやすかったり、感動する人もいると思います。


しかも、日本の演劇人はこの「桜の園」が好きで、高校の演劇部が文化祭で行う演目として有名でもあります。


高校生がこの演目をやるというのは、およそ、指導に当たる教師にとって比較的指導しやすいからでしょう。


つまり、この「桜の園」には際立った優秀な人物も出てこない代わり、目立った悪人も出てきません。


没落したロシア貴族の過ごす無為な時間が、淡々と過ぎ去っていく作品です。


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あらすじ

ラーネフスカヤ夫人は、夫と息子を失った後、外国へ逃れて自堕落な生活を送っていた。


そんなラーネフスカヤ夫人が、迎えにきたアーニャとともに、パリから「桜の園」に帰ってきたのは、「桜の園」の今後について家族と話し合うためである。


「桜の園」は先祖から長きわたって引き継いできた、由緒正しき土地であったが、まもなく競売にかけられることになっていた。そこで、ラーネフスカヤ夫人、娘のアーニャ、その他の家族や関係者で対策を練ろうということである。


ロパーヒンはもともと桜の園で働いていた農奴の息子だったが、今では事業を興して成功していた。


そのロパーヒンが、別荘を人に貸したらどうかという提案をする。別荘を貸し出せば、その賃料で借金は返済できるし、これからの生活費も捻出することができるというのだ。


しかし、経済的な考え方に疎いラネースカヤ夫人にはロパーヒンの言っていることが理解できない。


集まった人々は、先祖伝来の土地を競売にかけられるほど生活が困窮しているにも関わらず、人に施しを行ったり、高価な食事をしながら、結局解決策を見つけることができない。


桜の園で働いている使用人たちも、これから先の桜の園の行方が気になり、いろいろと探ったりするのだが、はっきりしたことはなにも分からない始末である。


結局、何の策を見いだすこともできず、ただ競売の日が来るのを待っているしかなかった。


やがて競売のの日がやってきた。


競売から帰ってきたガーエフは、桜の園を落札したのはロパーヒンであることを告げ、それを効いたラネーフスカヤ夫人は泣き崩れるのだった。


しかし娘のアーニャは「行きましょうママ。もっと美しい園をつくりましょう」と、何の未練もうかがわせず、先祖伝来の土地と家を手放すのだった。


そして、彼女は学校に入って勉強したいという強い希望を胸に抱いていた。


ラネーフスカ夫人もガーエフも、自分たちの置かれている立場をゆっくりと受け入れていく。こうして、桜の園に流れていた古い時代は終わりを告げたのだった。


桜の園にいた人たちがみないなくなった屋敷には、桜の木に打ち込む小野の音だけが響いていた。

車輪の下 ヘッセ

車輪の下 ヘッセ


あらすじ

ときは20世紀の初め、南ドイツのある村から話が始まる。


村に、ハンスという少年がいた。


この少年は大変成績がよく、周囲の人たちもハンスを神童と呼ぶくらい、非常に勉強ができた少年であった。


当時のエリートコースというのは、神学校に進学することである。


だから、ハンスの父親も村の大人たちも、ハンスが神学校に入学することを願った。そうすれば、村一番のエリートが誕生するからだ。


また、その願いはハンス自身の願いでもあり、神学校を目指して猛勉強した。


そんな環境の中でひとり違ったのは靴屋のフライクだった。


そんなのは(神学校に入るために猛勉強すること)「馬鹿げたことだ。お前くらいの年の子供は、活発に遊び回らなくては」と言うのだった。


しかし、ハンスにはフライクの考えは分からない。


順調に受験勉強をしていたハンスだったが、そんなハンスにもひとつだけ心配なことがあった。


それは、ときどき原因不明の頭痛に襲われることだった。


それでも、ハンスはそんなことを気にしている場合ではないと、全力で受験勉強に励む。


猛勉強のかいもあり、ハンスは無事に神学校に合格した。ハンスのみならず、村中が喜びに沸いた。それを目にしながら、ハンスは意気揚々と神学校の寮に向かう。


ハンスは、神学校でも「クラス1位」を目指して勉強した。


クラスメートにヘルマンという少年がおり、ヘルマンはことあるごとにハンスのことを「ガリ勉野郎」などとバカにしたが、ハンスは気にしなかった。


ところが、ハンスの心配の種であった原因不明の頭痛がだんだんひどくなってくる。結果、ハンスの成績は徐々に下がり始めてしまう。


ハンスは「せっかく神学校に入ったのに、こんなふうではいけない」と、自分を叱咤激励しながら机に向かうが、やはり頭痛が原因で勉強に集中できない。そのうち記憶力も目に見えて落ちてくるようになる。


神学校の校長は「へこたれちゃいかん。車輪の下に踏みつぶされるぞ」とハンスを励まし、医師は散歩をすすめるが、効果はなかった。


そんなある日、ハンスはついに教室で倒れてしまう。


医師の診断は「心の病」ということだった。


勉学を続けられないということで、ハンスは神学校を退学になってしまう。


神学校を退学になったハンスは村に帰るが、毎日釣りをしたり散歩をしたりして無為に時間をつぶすことしかすることがない。


そのうち、絶望感から「もう自分の人生には何もない」と考えるようになり、「自殺」という考えも頭に浮かぶようになる。


ハンスは父親のすすめに従って町工場で働くようになるが、仕事に魅力を感じることはなかった。


また、彼の身体はひどく弱っており、激しい労働に耐えることもできなくなっていた。


そんなある日、ハンスは職場の仲間たちに誘われて遠足に行くことになった。


遠足では陽気にはしゃいで、ハンスを蝕む悲しみを追い払うが、ふとひとりでよろめくように川へ下りていく。


翌日溺死したハンスが発見されるのだった。


車輪の下 (新潮文庫)
車輪の下 (新潮文庫)高橋 健二

おすすめ平均
stars翻訳が古すぎる。
stars表紙の絵が好きです
stars車輪の下の意味
stars期待という車輪の下に踏みしめられる
stars無理をしているほど心に響く

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「車輪の下」というタイトルは、神学校の校長の言葉からとったものである。


ハンスのモデルはヘッセ自身なのかどうかということについては、ヘッセがモデルであるという説と、ヘルマンであるという説があるようである。


ヘッセ自身も15歳のときに神学校を逃げ出しているのは事実である。


ヘッセの作品は、文庫本だと手頃な厚さの物が多く(「知と愛」は分厚いけれど)、読書感想文の題材にされることが多い。


その中でも、一度は読んでおくのが常識であるとされているのが、「車輪の下」である。


だから、読んでおいて損はないし、それはヘッセがノーベル文学賞作家であることからもいえることであろう。


「車輪の下」で読書感想文を書くときのポイントとしては、恣意的に読みすぎないことである。


たしかに本書は受験勉強を真っ向から扱った作品ではある。


猛勉強→神学校入学→精神病を発病→退学→人生に絶望という過程をハンスがとっているのは事実である。


しかしながら、だからといって「車輪の下」を「受験戦争を考えるためのテキスト」だと考えるのは早計かつ稚拙な読み方であろう。

老人と海 あらすじ

老人と海 ヘミングウェイ著

老人と海
老人と海


あらすじ

キューバの老漁師サンチャゴは1人で漁に出た。1匹も獲れない不漁の日が84日も続き、それまで手伝ってくれていた少年にも見放されてしまったからだ。


だが、この日、太陽が真上にきた頃、老人の仕掛けた網に獲物がかかる。網をつかんだ手応えから、それが余程の大物であることを感じとったサンチャゴは、慎重に網を引き、魚の様子をうかがう。


サンチャゴは確かな手応えを感じ、網をたぐり寄せようとするのだが、魚も負けてはいない。どんどん舟を沖へ引っ張っていく。ここから、老漁師サンチャゴと魚の死闘が始まるのだった。


日が落ち、朝が来ても状況は変わらず、魚は沖へ沖へとどこまでも舟を引っ張っていく。しかしサンチャゴもあきらめない。網をつかんで魚の様子をじっとうかがっていると、やがてその魚が姿をあらわす。


そこに姿をあらわしたのは、舟よりも2フィートも長い(長さ18フィート、重さ1500ポンドという解説あり)巨大なマカジキだった。


結局魚とサンチャゴの闘いは3日目に突入する。サンチャゴはついに魚に銛を打ち込み、銛は見事に命中したので、仕留めた獲物を舟にしっかりと縛り付けた。


しかし、サンチャゴの闘いはまだ終わっていなかった。今度は獲物を狙って姿をあらわしたとサメとの闘いが始まる。


サンチャゴはサメを相手に死闘を繰り広げるが、その闘いのうちに銛を失い、ナイフを失い……結局舟が港に着いたときには巨大なマカジキの骨が海に揺らめいているのだった。


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単純と言えば単純な話なのです。老漁師サンチャゴが漁に出て、巨大なマカジキを死闘の末につかまえ、すると今度はマカジキを狙ってよってくるサメを相手に闘いを繰り広げる。


もちろん、サンチャゴは漁師なのだからせっかくの獲物をサメに食べられてはたまらない。懸命にサメから魚を守ろうとするのだが……結局港に着いたときには巨大な魚の骨しか残っていなかった。


これだけの話なのだが、この話がなぜそんなに輝きを放っているかというと、それは最強の敵との闘いだからである。


相手が強ければ強いほどそれと闘う人間は輝く。モハメド=アリの一番輝いた試合がジョージ=フォアマンとの「キンシャサの奇跡」だと言われるのは、ジョージ=フォアマンが最強であり、モハメド=アリが最強の男と闘った試合だからである。


そうすると、闘いであるからにはそこには勝敗が生じる。はたしてサンチャゴは勝利したのか?


サンチャゴは漁に出て魚を捕まえ、それを持ち帰ることを目的に闘っていたはずだ。マカジキとの闘いでは勝ったかのようにみえたサンチャゴだが、サメとの闘いにやぶれ、マカジキは骨だけになってしまう。


これは果たして勝利といえるのかどうか。また、老漁師サンチャゴは負けたのだろうか? 負けたとすればいったい何に負けたのだろうか。


サメに負けたのだろうか、それとも「漁」そのものに負けたのか、やはり魚に勝ったとは言えないのか……


それを考えるだけで、きっと読み手は何度も逡巡するに違いない。


そして、何度も逡巡した後、読み手のあなたはサンチャゴに勝利を言い渡すのか否か。


陸に上がったサンチャゴはひれ伏し、創造主に己の存在を問いかける。


サンチャゴは果たしてどんな答えを期待していたのか。


人間と人間の闘いにおいて負けようとも、それは「人間」が勝ち「人間」が負けるだけである。


しかし、老人は「人間」と闘ったのではなかった。これは異種である「人間」と「魚」の闘いなのだ。勝つのが必ず「人間」である、人間対人間の闘いではない。


海という自然という大きな存在に対して闘いを挑んだ老人。その存在はちっぽけなものである。


しかし、その自然の向こうには「創造主」がどっしりと構えている。それが老人の世界なのだ。


そこまで逡巡しながら自分なりに読み込まないと、「老人と海」という優れた薄い本の感想を書いたとはいえないだろうし、良い点も付けられることはないと思われる。

老人と海を原書で読む

ヘミングウェイの代表作老人と海は、文庫本でも薄いので読書感想文を書く際の本に選ぶ方が多いのではないでしょうか。


ヘミングウェイやスコット=フィッツジェラルドといった作家はいわゆるロストジェネレーションといわれる世代なのですが、その中でもヘミングウェイの著名度というのは他作家をしのいでいると思います。


彼は従軍ジャーナリストとしても活躍していますし、誰がために鐘は鳴る (上巻) (新潮文庫)など上下巻の分厚い本も書いています。


そういう面からすると、老人と海は異色感があるような気もするのですが、話としてはかなり単純です。


逆に単純だからこそ読書感想文には書きにくいかなという感じも受けます。


文章は淡々と進んでいきます。この淡々とした文章が性に合う人と合わない人を決定的に分けている原因だと私自身は考えています。


私も最初読んだときは、あまりにも淡々としすぎていてさっぱり文学としての意味がわかりませんでした。


それを、なんとなく再読したときにはまったく違う印象を受けたのを覚えています。それを機会に原書で読んでみたのですが、日本語で読むよりも原書で読んだ方が雰囲気がつかみやすい作品だと認識しています。


今では私の好きな本の一冊になりました。


ですから、この老人と海に関しては、もし英語にそれほど苦手意識がないかたはぜひ原書で読んでいただきたいと思います。


といっても、講談社からルビーブックスというのが出版されていて、それには原文(英文)とともに巻末には重要単語の日本語訳も豊富に載っているので、それほど身構えることもありません。


自信のない方は、日本語の老人と海を傍らにおいて文を対照させながら読むこともできます。


ぜひ英文の老人と海もお試しください。

老人と海 [英語版ルビ訳付] 講談社ルビー・ブックス
老人と海 [英語版ルビ訳付] 講談社ルビー・ブックス

狭き門

狭き門  アンドレ=ジッド著

狭き門 (新潮文庫)


あらすじ

幼いときに父親を亡くしたジェロームは、叔父の家にしばしば遊びにいく。叔父の家にはアリサとジュリエットという姉妹がいるのもその一因だった。アリサは静かな性格で、姉よりもジュリエットは活発な女の子だった。ジェロームとアリサ、ジュリエットは本当の兄妹のように遊びながら成長する。


しかし、そのうちジェロームはアリサに対する恋心を抱くようになっていった。アリサもジェロームのことは好きなのだが、ジェロームの気持ちを素直に受け入れることができないでいる。その原因はアリサの母親にあった。


アリサの母親は父親以外の男性と親密な関係になり、その結果家を出てしまったのだ。アリサはそのような母の行為を恥じており、またそれはアリサに男女の関係を悪いものと考えさせるようになってしまった。


ジェロームはそんなアリサの複雑な気持ちを知り、「清く、正しい人間」になろうと心に誓う。


しかし、ジェロームの恋心がおさまったわけではなく、アリサに対する思いは大きくなるにしたがい、悩み苦しむ。


そんなある日、アリサは妹のジュリエットもまたジェロームに好意を抱いていることを知る。アリサは自分が身を引いて、ジュリエットにジェロームを譲ろうとする。しかしジュリエットはアリサを気遣い、ずいぶん年上の男性と好まぬ結婚をすることに決める。


3年後、叔父が死去したことを知り、ジェロームはフランスに戻り、アリサと再会する。しかしアリサへの思いを捨てきれないジェロームはアリサに求婚するが、アリサは「昔のことを思い出すのはよしましょう。もうページはめくられてしまったのです」と言って取り合わない。


それから3ヶ月後、ジェロームはジュリエットからアリサが死んだことを知らされる。そしてアリサの日記を渡されるのだが、その日記にはジェロームへの思いが切々と綴られていた。


10年後、ジェロームとジュリエットは南フランスのニースで再会する。ジュリエットは夫と3人の子供と一緒に幸せに暮らしていた。ジュリエットはジェロームが未だに独り身でいるのを知り「いつまで独身でいるつもり」と尋ねる。ジェロームはその問いに「いろんなことを忘れてしまうまで」と答えるのだった。


ジュリエットはそんなジェロームのために涙を流すのだった。

*************************************
アンドレ=ジッドは敬虔なプロテスタント信者でした。

狭き門というタイトルは、新約聖書のマタイの福音書7章13節と14節からとられたものです。

この「狭い」は英訳では narrow という言葉で訳されているのですが、欽定訳では strait という訳語が用いられています。

異邦人 カミュ

ノーベル文学賞受賞作家、アルベール=カミュの異邦人です。


異邦人
異邦人



カフカの変身同様、夏になると売れる典型的な本です。


別に、異邦人でえがかれている主な季節が夏だからというわけではありません。


主人公ムルソーが、一発撃ったあとに四発さらに打ち込んだのはなぜかという問いに対して答えた「太陽のせい」という有名な言葉がありますが、この言葉から、本書は夏に読むのにぴったりだと思う人が多いわけでもないでしょう。


それでも読書感想文の題材として大変人気のある本なのです。


薄いですから(笑)

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あらすじ

フランスの植民地アルジェリアのアルジェに住むムルソーは平凡なサラリーマンである。


その彼のところに電報が届き、母の死を知る。


ムルソーは母親の過ごしていた養老院での通夜や葬式に参列するが、母親の遺体も見ようとせず、涙もまた流さなない。


葬儀が終わるとすぐにアルジェに引き返し、翌日、海水浴場で昔の知り合いのマリーに出会う。


ムルソーは彼女と喜劇映画を見、一夜をともにする。


数日後、彼女から二人の結婚についての考えを聞かれると、「きみのことを愛しているわけではない。だが、君がのぞむなら、結婚してもいい。愛に意味なんてない」と答え、マリーを困惑させる。


ある日、マリーを伴って同じアパートに住むレエモンの友人の別荘に向かう。


レエモンはトラブルを抱えており、アラビア人に襲われる。


レエモンはことなきを得、別荘に戻るが、ムルソーは一人で再び海岸に散歩に向かう。その手にはレエモンから預かったままの拳銃があった。


そして、海辺で偶然アラビア人に出会い、撃ち殺してしまう。


ムルソーは逮捕され、何度も予審判事の取り調べを受ける。


特に問題になったのは、銃を一発打ち込んだのち、なぜ更に身動きしない相手に四たび打ち込んだかだった。


予審判事はムルソーの悔悛を促すが、ムルソーは相手にしないかのような態度をとり続ける。


裁判が始まるが、そこでもムルソーは淡々と罪を認める。


裁判官に「動機は」と尋ねられ、「太陽がまぶしかったから」と答えたのが致命的になり、死刑を言い渡される。

カソリックの教誨師(司祭)がムルソーの部屋を訪れ、悔悛を促そうとするが、それをもムルソーは無視し続ける。


司祭が部屋を出て行くと、ムルソーは平静を取り戻し、眠る。


顔上の星の光で眠りから覚め、そのとき、彼は初めて世界の優しい無関心に心をひらく。


そして、すべてが終わって、自分がより孤独でないことを感じるために、処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、自分を迎えることだけを望む。

変身

変身  フランツ=カフカ著

変身

夏休みになると急激に売り上げが増える本が、今回ご紹介するカフカの変身とカミュの異邦人だそうです。

これは夏に向いている本だからというわけではなく、単に薄い本であるという理由らしいのですが、その薄い本がここまで読み継がれているのには理由があるのです。


変身のあらすじ

主人公のグレゴール=ザムザはある朝突然自分が虫になっていることに気づく。

外交販売員である彼はなんとか仕事に行こうとするが、何本もある足があちらこちらに動いてうまく起き上がれない。

そのうち時間も過ぎ、支配人が自宅を訪れてくる。

家族も心配するが、夜カギをかけて眠る習慣があるので突然のぞかれる心配はなかった。

彼は一家の働き手として家計を支えているのであった。

その責任感だけが彼を起こそうとするがそれは徒労に終わる。

結局家族に姿を見られたザムザは部屋からでない事になる。

それでも妹だけは食べ物を差し入れるのだが、今まで美味しいと思っていたミルクにパンを浸したものはまずくて食べられない。

そのかわり、腐りかけたようなものを美味しく感じるようになってしまった。

一家の働き手を失った家族は前向きに生活について検討する。

貯金が少しあることと、父親に勤め先が決まったこと、母親が内職をすること、それに改めて考えてみるると広すぎる部屋を下宿として貸すことによって生活が成り立つという明るい見通しがたったのだ。

入ってきた下宿人は大変横柄な振る舞いをするが、下宿人を受け入れたことのない家族は納得してしまう。

ザムザは部屋の壁を這い回ることだけに喜びを感じていた。

あるとき、ふとザムザが虫の姿でみなの前に姿を現してしまう。

そのザムザに父親はリンゴを投げつける。

その投げつけられたリンゴが原因で、以前のように壁を這い回ることができなくなり、また体も徐々に弱まっていく。

妹は食事を差し入れはするが、残ったものはすべて掃き出して始末する。

ザムザの部屋の掃除も彼女の仕事だった。

ザムザは彼女に気をつかって、彼女が部屋にいるときには隠れているようにする。

下宿人を追い出し、代わりに雇い入れたお手伝いがザムザの食事を差し入れるようになる。

彼女はザムザを見ても驚かなかったのだった。

そうしているうちに、ザムザは体が弱り誰にみとられることもなく死ぬ。

彼が死んだことを知った家族は、休暇願を仕事先に書き、三人でピクニックに出かける。


*************
変身のテーマは不条理である。

この話にはなぜザムザが虫に変身してしまったのかその理由も書いていない。

そして、ザムザもなぜ自分が虫に変身してしまったのか考えることもしない。

ザムザが虫になってしまうと、一家の家計を支えているという自負があった彼の存在価値もなくなってしまう。

家族はザムザが働かなくても生活できることが分かったからだ。

そうなると家庭の中にザムザの役割はない。

それまで弱々しかった父親は仕事を見つけたとたんに変貌する。

そしてザムザにリンゴを投げつけるのだ。

結局は父親の投げつけたリンゴが原因でザムザは死ぬことになるわけだが、果たしてそれは虫になった息子に対する父親の勝利なのか。

そもそもザムザにはなんの存在価値もなかったのか。

家計を支えるために仕事をこなしてきたザムザには何らかの価値があったのか。

それとも虫になったザムザに存在価値がなかったのか。

家族が死んだことにより、自分たちがあるものから解放され、休暇を取る必要性を考える家族。

休暇届を三人で書きながら、ピクニックに行くことを提案する家族。

考えてみれば、すべてが不条理な状況を描いている。

もしかすると、変身に出てくる虫はなにか別のものを表しているのかもしれない。

寝たきりの老人、失業者、病人、ひきこもり、ニート……etc。

この話の中のあらゆる不条理さの中から何を読み取るのか、それが読書感想文の主題となるだろう。

読書感想文の書き方

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