読書感想文の書き方やおすすめの本を紹介しています。


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老人と海 あらすじ

老人と海 ヘミングウェイ著

老人と海
老人と海


あらすじ

キューバの老漁師サンチャゴは1人で漁に出た。1匹も獲れない不漁の日が84日も続き、それまで手伝ってくれていた少年にも見放されてしまったからだ。


だが、この日、太陽が真上にきた頃、老人の仕掛けた網に獲物がかかる。網をつかんだ手応えから、それが余程の大物であることを感じとったサンチャゴは、慎重に網を引き、魚の様子をうかがう。


サンチャゴは確かな手応えを感じ、網をたぐり寄せようとするのだが、魚も負けてはいない。どんどん舟を沖へ引っ張っていく。ここから、老漁師サンチャゴと魚の死闘が始まるのだった。


日が落ち、朝が来ても状況は変わらず、魚は沖へ沖へとどこまでも舟を引っ張っていく。しかしサンチャゴもあきらめない。網をつかんで魚の様子をじっとうかがっていると、やがてその魚が姿をあらわす。


そこに姿をあらわしたのは、舟よりも2フィートも長い(長さ18フィート、重さ1500ポンドという解説あり)巨大なマカジキだった。


結局魚とサンチャゴの闘いは3日目に突入する。サンチャゴはついに魚に銛を打ち込み、銛は見事に命中したので、仕留めた獲物を舟にしっかりと縛り付けた。


しかし、サンチャゴの闘いはまだ終わっていなかった。今度は獲物を狙って姿をあらわしたとサメとの闘いが始まる。


サンチャゴはサメを相手に死闘を繰り広げるが、その闘いのうちに銛を失い、ナイフを失い……結局舟が港に着いたときには巨大なマカジキの骨が海に揺らめいているのだった。


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単純と言えば単純な話なのです。老漁師サンチャゴが漁に出て、巨大なマカジキを死闘の末につかまえ、すると今度はマカジキを狙ってよってくるサメを相手に闘いを繰り広げる。


もちろん、サンチャゴは漁師なのだからせっかくの獲物をサメに食べられてはたまらない。懸命にサメから魚を守ろうとするのだが……結局港に着いたときには巨大な魚の骨しか残っていなかった。


これだけの話なのだが、この話がなぜそんなに輝きを放っているかというと、それは最強の敵との闘いだからである。


相手が強ければ強いほどそれと闘う人間は輝く。モハメド=アリの一番輝いた試合がジョージ=フォアマンとの「キンシャサの奇跡」だと言われるのは、ジョージ=フォアマンが最強であり、モハメド=アリが最強の男と闘った試合だからである。


そうすると、闘いであるからにはそこには勝敗が生じる。はたしてサンチャゴは勝利したのか?


サンチャゴは漁に出て魚を捕まえ、それを持ち帰ることを目的に闘っていたはずだ。マカジキとの闘いでは勝ったかのようにみえたサンチャゴだが、サメとの闘いにやぶれ、マカジキは骨だけになってしまう。


これは果たして勝利といえるのかどうか。また、老漁師サンチャゴは負けたのだろうか? 負けたとすればいったい何に負けたのだろうか。


サメに負けたのだろうか、それとも「漁」そのものに負けたのか、やはり魚に勝ったとは言えないのか……


それを考えるだけで、きっと読み手は何度も逡巡するに違いない。


そして、何度も逡巡した後、読み手のあなたはサンチャゴに勝利を言い渡すのか否か。


陸に上がったサンチャゴはひれ伏し、創造主に己の存在を問いかける。


サンチャゴは果たしてどんな答えを期待していたのか。


人間と人間の闘いにおいて負けようとも、それは「人間」が勝ち「人間」が負けるだけである。


しかし、老人は「人間」と闘ったのではなかった。これは異種である「人間」と「魚」の闘いなのだ。勝つのが必ず「人間」である、人間対人間の闘いではない。


海という自然という大きな存在に対して闘いを挑んだ老人。その存在はちっぽけなものである。


しかし、その自然の向こうには「創造主」がどっしりと構えている。それが老人の世界なのだ。


そこまで逡巡しながら自分なりに読み込まないと、「老人と海」という優れた薄い本の感想を書いたとはいえないだろうし、良い点も付けられることはないと思われる。

老人と海を原書で読む

ヘミングウェイの代表作老人と海は、文庫本でも薄いので読書感想文を書く際の本に選ぶ方が多いのではないでしょうか。


ヘミングウェイやスコット=フィッツジェラルドといった作家はいわゆるロストジェネレーションといわれる世代なのですが、その中でもヘミングウェイの著名度というのは他作家をしのいでいると思います。


彼は従軍ジャーナリストとしても活躍していますし、誰がために鐘は鳴る (上巻) (新潮文庫)など上下巻の分厚い本も書いています。


そういう面からすると、老人と海は異色感があるような気もするのですが、話としてはかなり単純です。


逆に単純だからこそ読書感想文には書きにくいかなという感じも受けます。


文章は淡々と進んでいきます。この淡々とした文章が性に合う人と合わない人を決定的に分けている原因だと私自身は考えています。


私も最初読んだときは、あまりにも淡々としすぎていてさっぱり文学としての意味がわかりませんでした。


それを、なんとなく再読したときにはまったく違う印象を受けたのを覚えています。それを機会に原書で読んでみたのですが、日本語で読むよりも原書で読んだ方が雰囲気がつかみやすい作品だと認識しています。


今では私の好きな本の一冊になりました。


ですから、この老人と海に関しては、もし英語にそれほど苦手意識がないかたはぜひ原書で読んでいただきたいと思います。


といっても、講談社からルビーブックスというのが出版されていて、それには原文(英文)とともに巻末には重要単語の日本語訳も豊富に載っているので、それほど身構えることもありません。


自信のない方は、日本語の老人と海を傍らにおいて文を対照させながら読むこともできます。


ぜひ英文の老人と海もお試しください。

老人と海 [英語版ルビ訳付] 講談社ルビー・ブックス
老人と海 [英語版ルビ訳付] 講談社ルビー・ブックス

狭き門

狭き門  アンドレ=ジッド著

狭き門 (新潮文庫)


あらすじ

幼いときに父親を亡くしたジェロームは、叔父の家にしばしば遊びにいく。叔父の家にはアリサとジュリエットという姉妹がいるのもその一因だった。アリサは静かな性格で、姉よりもジュリエットは活発な女の子だった。ジェロームとアリサ、ジュリエットは本当の兄妹のように遊びながら成長する。


しかし、そのうちジェロームはアリサに対する恋心を抱くようになっていった。アリサもジェロームのことは好きなのだが、ジェロームの気持ちを素直に受け入れることができないでいる。その原因はアリサの母親にあった。


アリサの母親は父親以外の男性と親密な関係になり、その結果家を出てしまったのだ。アリサはそのような母の行為を恥じており、またそれはアリサに男女の関係を悪いものと考えさせるようになってしまった。


ジェロームはそんなアリサの複雑な気持ちを知り、「清く、正しい人間」になろうと心に誓う。


しかし、ジェロームの恋心がおさまったわけではなく、アリサに対する思いは大きくなるにしたがい、悩み苦しむ。


そんなある日、アリサは妹のジュリエットもまたジェロームに好意を抱いていることを知る。アリサは自分が身を引いて、ジュリエットにジェロームを譲ろうとする。しかしジュリエットはアリサを気遣い、ずいぶん年上の男性と好まぬ結婚をすることに決める。


3年後、叔父が死去したことを知り、ジェロームはフランスに戻り、アリサと再会する。しかしアリサへの思いを捨てきれないジェロームはアリサに求婚するが、アリサは「昔のことを思い出すのはよしましょう。もうページはめくられてしまったのです」と言って取り合わない。


それから3ヶ月後、ジェロームはジュリエットからアリサが死んだことを知らされる。そしてアリサの日記を渡されるのだが、その日記にはジェロームへの思いが切々と綴られていた。


10年後、ジェロームとジュリエットは南フランスのニースで再会する。ジュリエットは夫と3人の子供と一緒に幸せに暮らしていた。ジュリエットはジェロームが未だに独り身でいるのを知り「いつまで独身でいるつもり」と尋ねる。ジェロームはその問いに「いろんなことを忘れてしまうまで」と答えるのだった。


ジュリエットはそんなジェロームのために涙を流すのだった。

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アンドレ=ジッドは敬虔なプロテスタント信者でした。

狭き門というタイトルは、新約聖書のマタイの福音書7章13節と14節からとられたものです。

この「狭い」は英訳では narrow という言葉で訳されているのですが、欽定訳では strait という訳語が用いられています。

異邦人 カミュ

ノーベル文学賞受賞作家、アルベール=カミュの異邦人です。


異邦人
異邦人



カフカの変身同様、夏になると売れる典型的な本です。


別に、異邦人でえがかれている主な季節が夏だからというわけではありません。


主人公ムルソーが、一発撃ったあとに四発さらに打ち込んだのはなぜかという問いに対して答えた「太陽のせい」という有名な言葉がありますが、この言葉から、本書は夏に読むのにぴったりだと思う人が多いわけでもないでしょう。


それでも読書感想文の題材として大変人気のある本なのです。


薄いですから(笑)

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あらすじ

フランスの植民地アルジェリアのアルジェに住むムルソーは平凡なサラリーマンである。


その彼のところに電報が届き、母の死を知る。


ムルソーは母親の過ごしていた養老院での通夜や葬式に参列するが、母親の遺体も見ようとせず、涙もまた流さなない。


葬儀が終わるとすぐにアルジェに引き返し、翌日、海水浴場で昔の知り合いのマリーに出会う。


ムルソーは彼女と喜劇映画を見、一夜をともにする。


数日後、彼女から二人の結婚についての考えを聞かれると、「きみのことを愛しているわけではない。だが、君がのぞむなら、結婚してもいい。愛に意味なんてない」と答え、マリーを困惑させる。


ある日、マリーを伴って同じアパートに住むレエモンの友人の別荘に向かう。


レエモンはトラブルを抱えており、アラビア人に襲われる。


レエモンはことなきを得、別荘に戻るが、ムルソーは一人で再び海岸に散歩に向かう。その手にはレエモンから預かったままの拳銃があった。


そして、海辺で偶然アラビア人に出会い、撃ち殺してしまう。


ムルソーは逮捕され、何度も予審判事の取り調べを受ける。


特に問題になったのは、銃を一発打ち込んだのち、なぜ更に身動きしない相手に四たび打ち込んだかだった。


予審判事はムルソーの悔悛を促すが、ムルソーは相手にしないかのような態度をとり続ける。


裁判が始まるが、そこでもムルソーは淡々と罪を認める。


裁判官に「動機は」と尋ねられ、「太陽がまぶしかったから」と答えたのが致命的になり、死刑を言い渡される。

カソリックの教誨師(司祭)がムルソーの部屋を訪れ、悔悛を促そうとするが、それをもムルソーは無視し続ける。


司祭が部屋を出て行くと、ムルソーは平静を取り戻し、眠る。


顔上の星の光で眠りから覚め、そのとき、彼は初めて世界の優しい無関心に心をひらく。


そして、すべてが終わって、自分がより孤独でないことを感じるために、処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、自分を迎えることだけを望む。

変身

変身  フランツ=カフカ著

変身

夏休みになると急激に売り上げが増える本が、今回ご紹介するカフカの変身とカミュの異邦人だそうです。

これは夏に向いている本だからというわけではなく、単に薄い本であるという理由らしいのですが、その薄い本がここまで読み継がれているのには理由があるのです。


変身のあらすじ

主人公のグレゴール=ザムザはある朝突然自分が虫になっていることに気づく。

外交販売員である彼はなんとか仕事に行こうとするが、何本もある足があちらこちらに動いてうまく起き上がれない。

そのうち時間も過ぎ、支配人が自宅を訪れてくる。

家族も心配するが、夜カギをかけて眠る習慣があるので突然のぞかれる心配はなかった。

彼は一家の働き手として家計を支えているのであった。

その責任感だけが彼を起こそうとするがそれは徒労に終わる。

結局家族に姿を見られたザムザは部屋からでない事になる。

それでも妹だけは食べ物を差し入れるのだが、今まで美味しいと思っていたミルクにパンを浸したものはまずくて食べられない。

そのかわり、腐りかけたようなものを美味しく感じるようになってしまった。

一家の働き手を失った家族は前向きに生活について検討する。

貯金が少しあることと、父親に勤め先が決まったこと、母親が内職をすること、それに改めて考えてみるると広すぎる部屋を下宿として貸すことによって生活が成り立つという明るい見通しがたったのだ。

入ってきた下宿人は大変横柄な振る舞いをするが、下宿人を受け入れたことのない家族は納得してしまう。

ザムザは部屋の壁を這い回ることだけに喜びを感じていた。

あるとき、ふとザムザが虫の姿でみなの前に姿を現してしまう。

そのザムザに父親はリンゴを投げつける。

その投げつけられたリンゴが原因で、以前のように壁を這い回ることができなくなり、また体も徐々に弱まっていく。

妹は食事を差し入れはするが、残ったものはすべて掃き出して始末する。

ザムザの部屋の掃除も彼女の仕事だった。

ザムザは彼女に気をつかって、彼女が部屋にいるときには隠れているようにする。

下宿人を追い出し、代わりに雇い入れたお手伝いがザムザの食事を差し入れるようになる。

彼女はザムザを見ても驚かなかったのだった。

そうしているうちに、ザムザは体が弱り誰にみとられることもなく死ぬ。

彼が死んだことを知った家族は、休暇願を仕事先に書き、三人でピクニックに出かける。


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変身のテーマは不条理である。

この話にはなぜザムザが虫に変身してしまったのかその理由も書いていない。

そして、ザムザもなぜ自分が虫に変身してしまったのか考えることもしない。

ザムザが虫になってしまうと、一家の家計を支えているという自負があった彼の存在価値もなくなってしまう。

家族はザムザが働かなくても生活できることが分かったからだ。

そうなると家庭の中にザムザの役割はない。

それまで弱々しかった父親は仕事を見つけたとたんに変貌する。

そしてザムザにリンゴを投げつけるのだ。

結局は父親の投げつけたリンゴが原因でザムザは死ぬことになるわけだが、果たしてそれは虫になった息子に対する父親の勝利なのか。

そもそもザムザにはなんの存在価値もなかったのか。

家計を支えるために仕事をこなしてきたザムザには何らかの価値があったのか。

それとも虫になったザムザに存在価値がなかったのか。

家族が死んだことにより、自分たちがあるものから解放され、休暇を取る必要性を考える家族。

休暇届を三人で書きながら、ピクニックに行くことを提案する家族。

考えてみれば、すべてが不条理な状況を描いている。

もしかすると、変身に出てくる虫はなにか別のものを表しているのかもしれない。

寝たきりの老人、失業者、病人、ひきこもり、ニート……etc。

この話の中のあらゆる不条理さの中から何を読み取るのか、それが読書感想文の主題となるだろう。

読書感想文の書き方