読書感想文の書き方やおすすめの本を紹介しています。


スポンサードリンク

太宰治 グッド・バイ

太宰治の人間失格がずいぶん流行しているようです。


漫画版も出ているので、そのせいもあるのかなと思います。


人間失格ほど重くなく、人間失格ほど長くない太宰の小説はたくさんあります。


私がとくにおすすめしたいのが、太宰治のグッド・バイという短編集です。


なにしろ短編集ですから、全部短編です。


だからひとつずつの話が短いです。


しかも、その短い一話で十分な読書感想文を書くことができるという優れものです。


短編ですからもちろん短いですが、その短い文章の中に太宰一流の風刺やジョークが含まれているとてもおもしろい小説ばかりが集められています。


もちろん、表題作である太宰治のグッド・バイも優れた作品として有名ですが、私がとくにおすすめしたいのは「たずねびと」と「眉山」です。


「眉山」は文芸雑誌で、優れた短編100選などという企画があると、必ず選ばれる名作です。


読んでいるときには、なんだかお馬鹿な女の子のドジ話に、その店に通う人たちが笑いながらそれを馬鹿にする……といった感じなのですが、ちゃんと伏線は張ってあって、最後にはすーっとこころの奥底に沈んでいくような終わり方をします。


そして、女の子を馬鹿にしている人たちが、いかにその女の子を愛しているかということがしみじみと伝わってくる作品です。


「たずねびと」は戦争末期のある家族におとずれた僥倖についてかかれたものです。


この家族は着の身着のままで疎開するその最中なのですが、その状態というのは惨憺たるものです。


食べ物もなく、子どもは病に冒され、泣く元気もなく、夫婦は世の中をあきらめたふうな感じです。


そんな家族に数々の僥倖とでも出来事が訪れます。


とてもよい出来事です。


とてもよい話です。


そうして、家族はなんとか疎開し、終戦まで命を保たせ、その後父親は小説家として糊口を凌ぐようになります。


そうなって始めて真実が明かされます。


作品最後の一行にすべてが書かれています。そこから、それまで語られた話すべてがさかのぼって膨らんでいく、そんな作品です。


この2編は、読書感想文の題材としてだけではなく、読書のひとつとしてぜひ読んでいただきたいなと思います。


短いお話ですから、すぐに読めてしまいますよ。

グッド・バイ (新潮文庫)
グッド・バイ (新潮文庫)
おすすめ平均
starsgood!
stars続きを読ませて。
stars人間の光と影を書いている
stars太宰治の遺作(未完)です
stars太宰の本質

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

黒い雨 井伏鱒二

精緻な文章で戦争の非人間性を告発するー黒い雨 井伏鱒二



あらすじ

主人公閑間重松の気がかりは、姪の縁談がまとまらないことである。
姪は器量がよく、どの縁談相手も最初は縁談に乗り気なのだが、最終的にはどの縁談もまとまらない。

理由は簡単だった。姪が被爆しているかどうかという事情が破談させている原因だった。

閑間は、姪が被爆していないことを縁談相手に証明するために、当時の日記をひもとくのだが、皮肉にも彼女は原爆直後の黒い雨を浴びていることが判明する。


着目点
この作品は、声高に反戦を訴えるわけでもなく、声を荒げて原爆の悲惨さを訴えているわけでもない。
ただ、淡々と原爆の非人間性を冷静な筆致で告発しているのである。
しかし、その冷静さの裏側にはもちろん深い憤りがあることはもちろんである。


ポイント
黒い雨は戦争ものであるし、夏休みの読書感想文のための本としては適していると思われる。
ただ、夏=戦争という単純な思考回路で高得点を狙おうとしてもむずかしい。
その辺りをねらってくることは教師にも分かっているのだ。
問題は、この「黒い雨」の冷静な文章から、読者が作者の言いたいことをどれだけ汲み取れるかである。
それに共感するか否かはまた別問題であるので、その点は読者各々が原爆や戦争というものにどんな価値観をもち、スタンスを取っているかということが問題となるだろう。
単に「……だから、戦争はいけないと思います」というような終わり方なら、小学生でも書けるからである。


黒い雨 (新潮文庫)
黒い雨 (新潮文庫)
おすすめ平均
stars文学の力
stars風化してはいけない真実
stars後世に残さなければならない作品
starsこれはかなりイイ!
stars平和への祈り

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

桜桃 太宰治

桜桃は太宰治の短編である。


短編だし、話も淡々と進んでいくので大変に読みやすい。


太宰自身のことを書いたものなのかとも思えるのだが、一応ひとつの小説になっている限り、これはフィクションであると思って読んだ方が無難だと思う。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
桜桃のあらすじ


子よりも親が大事。という一文でこの小説は始まる。


主人公(太宰は)三畳間で妻子と食事をしている。


つまり、三畳間に主人公とその妻、長女、次女、長男が集まって食事をしているのである。


食事の最中、主人公はなんども鼻にかいた汗をぬぐう。それを指摘した妻に対しても、どこに一番汗をかくかと尋ねる。


主人公の妻は「お乳とお乳の間の涙の谷」と答える。


長女は7歳、長男は4歳、次女は生まれたばかりの1歳であるから、妻は、生まれたばかりの次女に乳を含ませながら、主人公と二人の子供の給仕をしているわけである。


その忙しなさに、主人公は「誰か人を雇う」ことをすすめる。妻は「なかなか来てくれる人もありませんから」と答えるのだが、それに対して主人公は「来てくれる人がないのではなく、いてくれる人がないのだろう」という言葉で、妻の人を使う能力があたかも低いかのようにあしらうのだった。


主人公は小説家なので、今夜中に仕上げなければならない仕事を抱えている。しかし、妻も妹の見舞いに行きたい。妻の妹は重病なのである。


妻が妹の見舞いに出かけるということは、一番したの子以外の面倒を主人公が見ていなければならないということである。一番したの子は妻がおんぶしていく。


そう考えた主人公は再び「人を雇っては……」と考えるのであった。主人公は自分で布団をあげたり配給のことなんかは全く関知しない、つまり家事については全くの無能だったからだ。


長女と次女は体調をくずしやすいけれど、とりあえず人並みだと主人公は考えている。


しかし四歳になる長男は言葉がまだ話せなかった。それどころか立って歩くこともできず、はいはいをしている状態だった。しかし、そのことについて夫婦で話し合うことはない。


主人公は、この長男が、ただ発達の遅れているだけの状態で、そのうちほかの普通の子と同じになればいいと思っている。自分たちの心配が杞憂であればよいと願っているのである。そして、母親は時々この長男をぎゅっと抱きしめるのだった。


主人公の妻は精一杯生きている。しかし主人公も精一杯生きているのだ。あまりたくさん書ける小説家ではなく、極度の小心者であるからやけ酒を飲む。


家族のために、もうすこしましな家に引っ越してあげたいと思うが、今のこの状態が、主人公にとっては精一杯なのである。母親のみならず、父親(主人公)もやはり精一杯生きているのだが、ほかのことには手が回らない。


生きるということは大変なことだと主人公は思う。


生きるということはあちこちから鎖がからまっていて、少しでも動くと血が噴き出すと考える。


もうここまで追いつめられた主人公はもはや仕事のことなど考えられない。


主人公は六畳間の机の引き出しから稿料の入っている封筒を取り出し袂に突っ込むと外に出て行く。


店にいくと桜桃が出される。


主人公の家では子供たちに贅沢なものは食べさせない。だからおそらく桜桃を見たこともない。食べさせたら喜ぶだろうと主人公は考える。桜桃のつるを糸でつないだら、珊瑚の首飾りのように見えるだろうとも思う。


しかし親は子よりも弱い。だから子よりも親が大事なのだ。


主人公はきわめてまずそうに桜桃を食べ、その種を吐き出し、心の中では虚勢のように、子よりも親の方が大事と思うのだった。


******************************

この小説を読むポイントは3つにしぼられると思う。

ひとつは、主人公の妻が言った「涙の谷」の意味合い。

そしてふたつめは「子よりも親が大事」の意味。

三つ目は小説全体を通しての長男の役割。または家族の捉え方と言ってもいいかもしれない。特に桜桃を珊瑚の首飾りになぞえる主人公をどのように読み込むか。


これらはあくまでも私見なのだが、当たらずとも遠からじという気がする。


桜桃が収録されている一般的な文庫としては、人間失格,桜桃 新装版 (角川文庫 た 1-5)が有名で安価。

斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇 (文春文庫)も走れメロスが収録されている点ではおすすめ。

山本有三ふるさと記念館

山本有三ふるさと記念館は栃木県栃木市にあります。


大きな地図で見る


大通り沿いにこんな垂れ幕(?)があるので、すぐに分かります。

一目で分かる垂れ幕.jpg



これが休館日と開館時間、それから入場料ですね

山本有三記念館時間料金.jpg



こんな表札もあります。でも、あんまり目立たないな。

山本有三記念館表札.jpg



山本有三という作家の説明とか、記念館についての説明が書いてあります

資料館の説明.jpg



ちょうど上の説明の下あたりに、生誕の地の小さな碑があります

生誕の地の石.jpg


内部はいろいろと工夫がこらしてあるようで、路傍の石の主人公である吾一の部屋なんてものもあるようです


お近くにお出かけの際は、ちょっと寄ってみてはいかがでしょうか?


いろんなものを見たり読んだりすると、イマジネーションもふくらんで、読書感想文も書きやすくなると思いますよ。


路傍の石 (新潮文庫)
路傍の石 (新潮文庫)山本 有三

おすすめ平均
stars考えさせられる本
stars路傍の石
stars涙なしでは読めない成長小説
stars路傍の石

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

握手

井上ひさし著「握手」は講談社文庫「ナイン」に収録されています。

ナイン (講談社文庫)
ナイン (講談社文庫)


あらすじ

「わたし」は中学3年生の秋から高校を卒業するまで、ルロイ修道士が園長をつとめる天使園というカトリック系の児童養護施設に厄介になっていた。

戦争直後のことで、戦勝国である白人でもあるにもかかわらず、敗戦国の子供のために泥だらけになって畑仕事をし、野菜を作り鶏を育てているルロイ修道士を、園児は最初「日本人の子供をアメリカのサーカスに売るのだ」などどいぶかしがったが、それが違うことに気づくのに時間はかからなかった。

ルロイ修道士は本当であれば、終戦前に交換船でカナダに帰るはずだったのだが、日本の勝手な都合で交換船が廃止になり、丹沢に連れて行かれ、足柄茶やみかんを作らされる生活を余儀なくされていた。

カトリック者は日曜日の労働を禁じられていたが、日本軍はそれを認めない。それだけではなく、ルロイ修道士の左の人差し指を木槌でうちすえ、その結果ルロイ修道士のその指は変な具合に曲がり、正常な爪も生えてこなくなってしまった。

ルロイ修道士がカナダに帰国するまえの挨拶をしに、東京で働いている「わたし」を訪ねてきたときに、交換船の件などを謝ると、ルロイ修道士は「わたし」をたしなめるのだった。

上野公園の近くにある西洋料理屋でルロイ修道士と会った「わたし」は、彼が「おいしそうですね」といいながらも、目の前のオムレツにぜんぜん手を付けていないことに気づく。

「わたし」は昔、無断で天使園を抜け出してルロイ修道士の平手を食らったことなどを話す。「わたし」が天使園にいたころ、ルロイ修道士がこの仕草をするときは危険信号で、「おまえは悪い子だ」と怒鳴っているときだった。そして次に平手打が飛ぶ予兆でもあった。

「仕事はうまくいっていますか」というルロイ修道士の問いに「まあまあです」と答えると、ルロイ修道士は「困難は分割せよ」という言葉を「わたし」に与える。その言葉で、「わたし」はルロイ修道士の命が長くないことを知り、昔の教え子たちとのお別れの儀式のためにこうやって訪ね歩いていることが分かってきたのだった。

しかし、それを直接言う勇気のない「わたし」は、ルロイ修道士に日本で暮らしていて楽しかったことは何かと尋ねる。すると、彼は天使園で育った子供たちがこうやって世の中に出て一人前の働きをしているのを見ているときだと答えるのだった。

その話のつながりから、昔、春先の天使園の門前に捨て置かれた上川一雄という園児の話が出る。彼は市営バスの運転手をしているのだが、ルロイ修道士が乗り合わせると、停留所でもないのに、天使園の前にバスを止めるだのという。「上川くんはいけない運転手だけれど、そういうときがわたしには一等たのしいですね」とルロイ修道士は言うのだった。

逆に悲しいのは、天使園で育った子が大人になって結婚し、子供が生まれ、離婚し、その子供が重荷になって天使園に預けにくるためにくることだと言う。

ルロイ修道士は別れ際、右の人差し指に中指をからめて掲げた。これは「幸運を祈る」「しっかりおやり」という意味の彼特有の指言葉だった。

「わたし」は最後に死ぬことが怖くないかとルロイ修道士に尋ねると、彼はすこし赤くなりながらも、今まで神様を信じてきたこと、天国があると信じていること、にぎやかな天国に行くと思う方がよほど楽しいという趣旨の言葉を「わたし」に述べる。「わたし」は「分かりました」という言葉のかわりに右の親指を立て、ルロイ修道士の手を取って、しっかりと握り、腕を上下にはげしくふるのだった。

上野公園の葉桜が散るころ、ルロイ修道士は仙台の修道院でなくなり、もうすぐ一周忌である。葬式で「わたし」たちに会って回っていたころのルロイ修道士は、身体中が悪い腫瘍の巣になっていたことを聞いたとき、「わたし」は知らぬ間に両手の人差し指を交差させ、せわしく打ち付けていた。

*************************************

短い話ですが、一読する価値はあります。

教科書にも載っている話なので、知っている人も多いと思います。

私個人としては、この小説の「核」になっているのはアガペー(愛)だと思っています。その愛は見返りを求めず、愛するものたちのために与える愛です。ですから、ルロイ修道士の愛は園児たちに通じましたし、園児たちはそれを感じることができたのではないでしょうか。

蟹工船

国内プロレタリア文学の最高峰である、小林多喜二著 蟹工船のあらすじです。

蟹工船・党生活者 (新潮文庫) 小林多喜二


あらすじ

冒頭は「地獄さ行ぐんだで!」というなんとも奇妙な台詞から始まる。


蟹工船博光丸は、函館港を出発しカムサッカへ向かう。蟹工船というのはカニをとり、それを缶詰に加工する船のことである。船としては「工船」という工場扱いなので、「航海法」は適用されない。だから、船とはいっても、もうそうとう老朽化している船の外面だけをけばけばしく飾り立てたものなのだ。


「糞壷」のような臭気の漂う船底は、当時の貧困層の代名詞とでもいえる、炭坑労働者、貧農民、工場労働者、貧乏学生などでひしめいていた。年齢はさまざまであるが、年少者は、お金があればまだ学校に行っているはずの15〜16歳の雑夫だった。


時代的には、ロシア革命が成功して、ロシアが共産化してからそれほど時間が経っていないらし頃らしい。


時代的に天皇陛下が一番偉いのであるという認識が船内労働者すべてにあるのだが、天皇陛下は雲の上の存在であるから、船で一番偉いのは作業監督の浅川である。蟹工船の物語中唯一「名前」があるのは彼だけである。ほかの労働者及び船内で働くものすべてには固有名詞がない。


浅川は、自分の船が成績を上げるためには、人の命など何とも思わない。事実同じ蟹工船の秩父丸が沈没寸前になり、何度も何度もSOSの無線を送ってくるのだが、救助に向かおうとする船長にすら、それを無視させて、結局秩父丸(乗員425人)は沈没する。


浅川の言い分は、「秩父丸には勿体ないほどの保険がつけてあるんだ。ボロ船だ、沈んだら、かえって得するんだ」というものであった。


やがて蟹漁が始まり、博光丸の漁猟高が他船に負けていることを知った浅川は、働きの少ないものに容赦なく「焼き」をいれるようになる。仕事中に倒れるものには「仮病だろう」と言いがかりをつけ水をぶっかけ、麻縄で締め上げて見せしめにもした。


労働者たちは、だんだん浅川に対する憎悪を募らせていくことになる。彼らは「糞壷」のなかで互いの境遇を語り合ううちに、自分たちが金持ちに搾取される存在であることに気づく。


浅川は、他船が目印に残したブイの数字をカンナで削らせて分からなくさせたり、他船の網も勝手に引き上げてまで漁猟高を増やすこともやった。


海が荒れた日に行方不明になった川崎船(博光丸から出される漁猟用のもっと小さな船)が戻ってきた。彼らはカムサッカの岸に打ち上げられ、ロシア人に手厚く看病されて回復してから戻ってきたのだ。彼らは「赤化」を受けていた。カムサッカから帰る日に、ロシア人と日本語の分かる中国人と話す機会があり、自分たちがプロレタリアという存在であることを知ったのだ。それらの話を船底で仲間たちにすると、労働者たちは一様に目を輝かせて話に聞き入っていく。それを「危ない」と感じた船頭がその話題を無理にやめさせた。


やがて、自発的発生的に「サボ」が始まった。ただしサボタージュといっても、全く仕事をしないわけではなく、「身体を楽に使う」という意味でしかなかった。


ある日、とうとう船内に死者が出た。船内のまずしい食事と衛生環境(最初は2日に一度だった風呂が月に二度になっていた)で脚気にかかった27歳の若者だった。浅川は「病気のものだけ」にお通夜の許可を出したが、労働者たちは翌日「サボ」ってでもという気持ちでお通夜に出席する。聖職者がいないので、彼らの中で経を覚えていたものが、切れ切れに経を唱えた。船長と船医が1時間ほど出席した。


浅川はお通夜には出席せず、翌日には麻袋に入れて死んだ若者を勝手に海に投げ込ませた。みなの心の中に、若者は死んだのではなくて、殺されたのだという意識がわいてくる。


サボタージュの足並みがそろった。みながみんな「サボ」を行っているので、浅川もなす術がない。すると今度はピストルを散らすかせ始めた。そして大しけの日、浅川が洋上での作業を強行しようとしたことがきっかけとなって、労働者たちはストライキに突入した。このとき、労働者たちは、博光丸を守るように浮かんでいる、帝国海軍の駆逐艦が自分たちの味方だと思っていた。国は臣民(労働者)の味方だと思っていたのである。


労働者の代表9人が「要求条項」と「誓約書」を浅川に叩き付けるが、浅川はそれほど驚いた風はない。ただ「色よい返事をする」と言っただけだった。完全に労働者の勝利だと思われた。


だだ、その日の夕刻、帝国海軍の駆逐艦がやってくると、ストライキの首謀者は捕らえられた。労働者たちは彼らの本当の「敵」が浅川などではなく、軍隊をも手先にする資本家であることを知らされた。


「俺達には、俺達しか、味方が無えんだな。始めて分った」と知った労働者達は立ち上がった。もう一度!


**********************************
この小説の最後には「附記」としていくつかのことが述べられている。

1 二度目の完全な「サボ」は成功したこと。

2 函館へ帰港したとき「サボ」やストライキをやったのは博光丸だけではなかったということ。いくつかの船から「赤化宣伝」のパンフレットが出てきたこと。

3 監督や雑夫長等が、会社に慈悲もかけられず涙銭一文ももらうことなく首になったこと。

4 「組織」や「闘争」という言葉を初めて知った偉大な経験を荷なって、漁夫、年若い雑夫等が、警察の門からいろいろな労働の層へ、それぞれ入り込んでいったということ。


**********************************
蟹工船は小説ですが、小林多喜二は本作を著するにあたり、実際に蟹工船内で起きた事件を綿密に取材して書いたものであるので、少々ノンフィクションの要素もあります。


そのノンフィクションの要素というのは本作品内に出てくる想像を絶するような労働現場のシーンや、労働者たちが受ける生々しいほどのグロテスクな仕打ちのシーンに裏付けられていると思います。


1933年、特高警察に逮捕され、拷問死をとげた小林多喜二は、そのとき29歳でした。


「我々の芸術は、飯を食えない人にとっての料理の本であってはならぬ」


生前そのように述べていた氏は「飯を食えない人」たちのために命を捧げたと言えるのかもしれません。


時代状況が変化してしまった現在では、本作はリアルなものとはほど遠いものがあります。しかし本作から伝わってくる氏の社会主義への熱い思いは、時代を超えて人々に伝わるのかもしれません。だからこそ、読み続けられているのでしょう。

野火 大岡昇平

大岡昇平著 野火 の紹介です。

野火 (新潮文庫)
野火 (新潮文庫)



戦争文学といわれるものは数多あれど、この作品は我が国における戦争文学の金字塔でしょう。


多分、本作の名前くらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。


戦争文学は戦争のことを書いているのですから、読んで爽快になるものでもありません。むしろ、陰鬱な思いに駆られることの方がずっと多いのです。


その点、その陰鬱さにかけてはこの作品は群を抜いています。


私もけっこう本を読んできましたが、これ以上悲惨で暗くて、陰鬱になる、モノを食べられなくなる……といった本は、あと1、2冊しか思いつきません。(それでも思いついちゃうあたりが、ん〜……なんとも言えないのですが)


なぜに、そこまでこの作品が陰鬱且つ暗いのかと申しますと、それは人肉食(カニバリズム)を扱った作品だからではないでしょうか。


世界には、他所では通じない禁忌(タブー)と、他所でも通じる禁忌とが存在します。


たとえば、「子供の頭をなでる」という行為は、日本ではなんでもない行為ですが、ある国では禁忌(してはならない行為)にあたります。


世界中の様々な禁忌の中でも、人類共通の認識であると言われているのが、「殺人の禁止」「近親婚の禁止(インセント・タブー)」「人肉食(カニバリズム)の禁止」等です。


こういった禁忌行為というのは、人間に嫌悪感を与えます。


その中でも極めつけが人肉食ではないでしょうか。


その人肉食を、「野火」では扱っているのです。


だから、ものすごく陰惨かつ暗い。最初に言っておくと、気の弱い人は読まない方がいいと思う。


極限状態の人間の姿というのがつぶさに描かれているので、それに気づいてから本を綴じても無駄というもの。脳裏に焼き付いてしまうからね。


だって、人は殺すし、体は切断されるし、銃声は聞こえるし、草は食べるし、ヒルさえ食べる。そしていたるところに日本兵の屍が転がっている……。こんな描写が次々と出てくるのですよ。私はこの作品を読んで約2年間さつまいもを食すことができなくなりました。見るのもいやで、ときには吐き気がするくらいでした。


だから、最初に言っておきます。


たしかに、戦争文学というのは夏休みの読書感想文を書くのに格好の題材ですし、この作品で読書感想文を書いて文句を言う教師はいないでしょう。そして、教養として読んでおくべき本かもしれない。しかし、ただ、「夏休みだから」「ためになるから」という軽い気持ちでは読まない方がいいと思う。それくらいウルトラヘビーな本です。(たしかに幾多の戦争記念日がある8月に読むには最適な本ではあると思うのだけれど)


究極の状態で人間はどう変貌するのか。


死ぬ間際の人間が「俺が死んだら食べてもいいよ」と言う。


飢えと怪我で死にそうになっているとき、旧知の人間が助けてくれる。そのとき「食べろ」と「私」の口に干し肉を押し込む。「私」はそれを食べて死をまぬがれる。


「なんの肉なのか」という問いに「猿の肉だ」と答える人間。


飢えに耐えきれなくて、惨めな殺人を繰り広げる人間たち。人肉で口の周りを血だらけにする人間……


ちなみに、人肉食が特別ことさら奇異なものなのかというと、実はそのような例は探せばいくつでもあることはあるのです。


飛行機が雪山に墜落し、人肉を食べて飢えを凌ぎながら助かった人もいますし、山崩れで洞窟に閉じ込められて、人肉を食べることで救助がくるまで飢えを凌いでいた人もいます。


ただ、戦争は殺人を正当化します。はたして人肉食も正当化される行為なのでしょうか。


極限におかれた人間は、その暗闇の中にいったい何を見るのでしょうか。


タイトルの「野火」というのは、通常野山に火をつけて焼くことを指しますが、戦争当時は「食料のあるところ」を意味しました。


実はこのタイトルがすべてを暗示しているのです。

檸檬の主人公が檸檬を買った果物屋

梶井基次郎の檸檬には次のような描写があります。


ある朝のこと、私はなにかに追い立てられるように裏通りを歩き、果物屋の前で足を止めた。その果物屋は私の知っている範囲でもっとも好きな店だった。私はその店で檸檬を一つだけ買う。


抜粋するとこんな感じですね。


では、この果物屋は存在するのか? といいますと、あるんですよ、本当に。


京都市中京区寺町二条角にある八百卯という果物屋さんがそれです。


今は小さなビルに建て替えられており、2階にはパーラーがありますが、1階のショーウィンドウに「梶井基次郎『檸檬』の店」という貼り紙がありますので、すぐに分かります。


店先には欠かさずレモンが置かれていて、修学旅行で京都を訪れる高校生などが「国語の授業で読んだから」といって、記念に買っていくことが多いとのこと。


京都に行かれる際には、是非、八百卯で檸檬を買ってはいかがでしょうか?


そして2階のパーラーから町並みをながめ、在りし日の梶井基次郎を思い浮かべるのも楽しい思い出になると思います。

八百卯の所在地


powered by 地図Z

マーク1が八百卯のだいたいの場所です

八百卯
住所:京都市中京区寺町二条角
時間: 11:00〜17:00
定休日: 日曜日(祝日は営業)
総席数: 26席
平均予算は600円くらいかな?(パフェが600円くらい)

路傍の石 山本有三

路傍の石 (新潮文庫)
路傍の石 (新潮文庫)



山本有三の路傍の石です。


山本有三は今の栃木県栃木市出身です。


ですから、栃木駅前にはこんな碑があります。

路傍の石の碑等倍

碑に書いてあるのは路傍の石の一節です。


もうちょっと拡大したのが下の写真です。

路傍の石の碑拡大

読めるでしょうか?


この一節は、今となっては手あかにまみれたものではあるのですが、たしかに心にうったえるものがあるような気がします。


石碑に触れてみると、特にそれを感じます。


ちなみに、栃木市は蔵が多く残されているというので、「蔵の街」として売り出しました。


まあ、観光の一環ですね。


ということで、蔵の街郵便局(下の画像;たしかそんな名前だったような気がする)もあります。

蔵の街郵便局


蔵の街ということで交番も蔵です(たしかこれは栃木市万町交番。万町→よろずちょうとよみます)

蔵の街の交番


栃木市には山本有三記念館もあります。(地図は下;拡大すると山本有三ふるさと記念館の文字も出ます。縮小していくと栃木駅との位置関係も分かります)



powered by 地図Z

マーク1が山本有三ふるさと記念館、マーク2がとちぎ蔵の街観光館です。

山本有三ふるさと記念館
栃木県栃木市万町5-3.
交通; 栃木駅(JR両毛線、東武日光線)から徒歩15分

とちぎ蔵の街観光館
栃木県栃木市万町4-1
交通, JR両毛線栃木駅から徒歩12分


ちなみに、とちぎ蔵の街観光館に行くと、子どもの足形を残すことのできる「ミニ下駄」(3種類・1,470円から;送料別)を作ることができます。

施設内には蔵資料館や交流ホール、飲食店、物産店もあります。


夏休み、お暇な方は栃木市内を散策してみてください。


おいしいおせんべい屋さんなんかもあります。


栃木駅もきれいになりましたしね。(昔の面影はまったくないよ)


駅前の「武平作だんご」というお店のお団子は、そこそこいけます。(味に絶対という基準はないので、ここでは断言しません。でも美味しいと思う。特に磯辺団子っていうのかな? しょうゆ味のお団子に海苔の千切りがまぶしてあるやつなんかはおいしいと思う。いや、みつ団子の方が……という意見も。おだんごの味は4種類くらいあります)


今は宇都宮にも支店があるらしいですが、支店ができる前は、宇都宮からわざわざ栃木まで買いにくるお客さんもいたとか。

李陵

李陵  中島敦

李陵・山月記
李陵・山月記



あらすじ

時は前漢武帝の時代。漢は匈奴征伐に力を注いでいた。


そんなとき、匈奴征伐にかり出されたのが李陵将軍である。


李陵は5000人の歩兵部隊を率いて匈奴に攻め入った。しかし騎馬隊を主力とする10万の匈奴兵の前に、部隊の半分を失い、自分の矢も尽きてしまう。その結果、李陵は降伏することを余儀なくされる。


匈奴に捕虜として迎えられた李陵は、匈奴の単于(匈奴の王の称号)に手厚く庇護される。


単于は李陵に兵法などいろいろなことをたずねる。李陵はそれに答えるが、漢との戦いには決して加わらなかった。そして、漢に関することを李陵にたずねることを単于もやめた。しかし、待遇はよいままである。


あるとき、匈奴との戦いから帰った兵のだれかが、「匈奴があんなに強いのは、李将軍が匈奴の兵の訓練をしているからだ」と言い出す。


それを聞いて怒ったのは武帝である。


李陵がそのような人間ではないと庇護したために、司馬遷は宮刑に処せられてしまう。


結局武帝は李陵の一族を皆殺しにしてしまった。


李陵は漢との戦いには決して出なかったが、同じ李という姓のものがやはり降伏しており、その人間と李陵は間違われたのだ。


李陵は今までのさまざまの一族に対する皇帝の仕打ちを思い出し、かつ今となっては一族は皆殺しにされてしまい、帰国する意思をなくしてしまう。


最終的に李陵は匈奴の単于に仕え、その姫を妻とし子もなすことになる。


李陵が匈奴に降伏するより前に李陵と同じ漢の臣であった蘇武はとらわれの身になっていた。


しかし、蘇武は単于のどのような誘いにも屈することなく、奥地で羊飼いとして暮らしていた。


その話は李陵も知っていた。李陵と蘇武は20年来の友人で同じ役職もつとめたことがあったのだ。しかし、蘇武に会いに行こうとは思わなかった。


あるとき、蘇武の消息が知れなくなった。単于は李陵に蘇武の安否を確かめに行ってほしいと言う。そういう運びで李陵は蘇武に会いに行く。


そのとき、蘇武は羊を追いはぎに奪われ見るも悲惨な生活をしていた。


食料がないため、凍った大地から野ネズミを掘り出して食べているような状態だった。それでも匈奴に降伏しようという意思はなかった。


数年後、武帝は崩御し、次の皇帝には昭帝が立てられた。


昭帝は匈奴との和解を望んでそのための使節を送ってきた。


蘇武が匈奴にとらわれてから20年がすぎていた。


蘇武を送るための宴で李陵は詩を歌いながら、涙を流す。


漢からの使者は李陵に帰国をすすめるが、李陵はことわる。


武帝に宮刑に処せられた司馬遷は、そのショックから一時は生ける屍と化したが、父から継いだ史書の編纂という目的のために歴史家として立ち直る。


そうやって完成されたのが中国初の正史「史記」である。


蘇武と分かれた李陵の記録は何一つ残されていない。


ただ、元平元年に胡地で死んだということ以外は。


**********
読書感想文を書く際のポイント

李陵という作品には三人の人間が登場します。


李陵と蘇武と司馬遷です。


李陵は匈奴征伐の際、矢が尽き心ならずも匈奴に降伏します。


その後、一族が武帝により皆殺しにされたとしり、帰国する意思をなくし匈奴の地に残ることを選びます。


蘇武はどのような単于の誘いにものらず、奥地で羊を飼いながら20年という悲惨な年月を武帝に対する忠誠心をもって過ごしていました。


司馬遷は李陵とその一家をかばったために宮刑に処せられながら、最後には「史記」という中国最初の正史を完成させました。


この作品には三人三様の生き方が書かれていますが、そのどれもが強靭な意思によって支えられたものであることを忘れてはいけないでしょう。


匈奴に残った李陵であっても、それは李陵にとってはさまざまな苦難を超えての決意だったのであり、蘇武のように武帝に対する忠誠心を持ち続けなかったから、李陵は意思が弱かったという単純な次元の話ではありません。


また、知人をかばったばかりに宮刑という屈辱的な極刑に処せられながらも、一大歴史書「史記」を書き上げた司馬遷にも強靭な意思があります。


これら三人について、そのあたりをいかに読み取るかが読書感想文を書く上での課題もしくは中核になると思われます。

杜子春

杜子春  芥川龍之介著

蜘蛛の糸・杜子春
蜘蛛の糸・杜子春



杜子春のあらすじ

杜子春は中国唐王朝時代の若者です。

もともと金満家の家の息子だったのですが、放蕩の限りを尽くし、今では夜ねる場所にもこと欠く始末です。


そんな困り果てた夕方、老人に会いました。


その老人のいう通りにすると、再び杜子春はお金持ちになることができました。


お金持ちになると、人がたくさんよってきます。


杜子春はお金をどんどん使いましたから、せっかく与えられたお金も使い尽くしてしまいます。


そうすると、それまでやいのやいのと寄って来た人たちはみな杜子春に見向きもしないようになってしまいました。


そして、結局またお金に困る生活になってしまいます。


するとまた老人が杜子春の前に現れ、老人のいう通りにすると、再びお金持ちになりました。


お金持ちになるとまた人はよってきますが、そうやってまたお金を使い尽くすと人は自分から去っていき、見向きもしなくなります。


杜子春は二度もこのような経験をしましたから、もうお金持ちになりたいという気持ちはなくなってしまいました。


そんな杜子春の前に再度老人が現れますが、杜子春はその老人が仙人であることを見破り、弟子にしてくれるように頼みます。


老人は峨眉山(がびざん)にすんでいる鉄冠子という仙人なのでした。


仙人は杜子春が仙人になれるかどうかは別にして、一応峨眉山に連れて行きます。


そこで、杜子春は仙人になれるかどいうかを試されることになりました。


仙人になる試験は、どんなことが起ころうとも決して声を出さないというものでした。


仙人が西王母(せいおうぼ)に会いにいっている間、さまざまな魔物が杜子春を襲います。


しかし、杜子春は決して声を出しませんでした。


最後の最後、閻魔大王がなんとか杜子春に声を出させようと、畜生道に落ちている杜子春の父母を目の前につれてきます。


杜子春の父母は馬になって畜生道にいるのでした。


閻魔大王は鬼たちに命じて杜子春の父母を鉄の鞭で打たせませす。


その度に馬になった父母はいななき、皮は痛々しく破れます。


それでも杜子春は声を出しませんでした。


そのとき、母親の声が聞こえてきました。


「心配しなくていいよ。お前が仙人になるためなら、お母さんは大丈夫だから黙っておいで。」


その言葉を聞いて杜子春はついに「お母さん」という言葉を口にしてしまいます。


杜子春はそうして仙人になる試験に落ちてしまいました。


仙人はもしそのときになっても杜子春が何も言わなかったら切り殺そうと思っていたのです。


杜子春は、何になっても正直な生き方をしたいと思うようになりました。


仙人は、もう二度と杜子春の前に現れることがないことを告げたあと、泰山のふもとにある家と畑を杜子春にあたえました。

*************
杜子春は中国の「杜子春伝」という話が元になっています。


杜子春伝と杜子春はほぼ内容が同じなのですが、決定的に違うのがラストシーンです。


杜子春伝の方は、杜子春が仙人になるための試験として、喜、怒、哀、懼(く)、悪、の六つの欲の六情には負けませんでしたが、最後の「愛」の試験に落ちてしまい、仙人になるための薬がつくれなく、杜子春も仙人になれなかった、というふうに終わります。


しかし、芥川の杜子春は「愛欲」の試験に耐えられるようならば、即座に命を絶ってしまおうと仙人にいわせています。


ここでの仙人と杜子春の心情としては、仙人になるよりは平凡な愛のある世界に生きる方が幸せなのだということをしらしませています。


ちなみに、最後に仙人が杜子春に与えた家畑のある泰山というのは、霊山として有名な場所です。


そして、仙人は最後に「今頃は桃の花が一面に咲いているだろう」と言っています。


仙人というのは、道教の思想や伝承と結びつき、とりわけ仙人思想というものがあります。


仙人になるために食べる霊力のある桃の実や、西王母伝説の不老不死の仙桃、また霊山として有名な泰山という場所にある家畑とという言葉の関連から考えると、「桃の花が一面に咲いているだろう」という仙人の言葉はなんとも含みのあるものに思われます。

蜘蛛の糸

蜘蛛の糸  芥川龍之介著

蜘蛛の糸・杜子春
蜘蛛の糸・杜子春




蜘蛛の糸のあらすじ

ある日お釈迦様が極楽の蓮の池のふちをお歩きになっていた。

蓮の池のずっと下は地獄であるから、水面を通して地獄も見ることができる。

すると、罪人たちはみな血の海や、針の山に苛(さいな)まれていた。

罪人たちは、泣くことも叫ぶこともできないくらい気力も体力も失っている。

そんな中にカンダタという男がいるのを、お釈迦様はご覧になった。

カンダタは悪事をしつくした大悪党だったけれど、一つだけよいことをしたことがあるのをお釈迦様は思い出されたのだ。

カンダタは一度蜘蛛の命を助けたのだ。

それを思い出したお釈迦様は、できることならカンダタを救ってあげたいと思い、蓮の池にいた銀色の糸を出している蜘蛛を見つけた。

その銀色の蜘蛛の糸をすうっと、下に垂らしておあげになったのである。

カンダタは上からなにやら細い糸が降りてくるのに気づいた。

もしかしたら、この蜘蛛の糸を上って行けば地獄から抜け出せるかもしれないと思ったカンダタは、必死の思いで糸を上って行く。

しばらく上ったところで下をみると、糸をみつけた罪人たちがたくさん上ってくるではないか。

こんなにたくさんの人間がぶら下がっていてはこの細い糸は切れてしまうと思ったカンダタは、この糸が自分のものであることを主張し、上ってくる罪人たちを蹴落とそうとする。

そのとき、蜘蛛の糸はぷつんと切れてしまった。

お釈迦様はその光景をみて何も言わず悲しいお顔をなさった。

****************
昔話として、紙芝居や絵本で、だれでも一度は聞いたり読んだりしたことのある話だと思います。

カンダタという名前は仏典には出てくるのですが、蜘蛛の糸の話のもとになるような説話などは仏典には出てきません。

ポール=ケーラスという外国の作家の「KARMA」という本の中に収められた‘The Spider Web’(蜘蛛の糸)が元になったようです。

この作品はノーベル文学賞作家のトルストイの目にとまってロシア語訳されたのちに日本語訳もなされました。

その日本語訳の本を参考にしたようです。

また、ロシアの民話の中に蜘蛛の糸に似た話があります。

登場人物は、お釈迦様の代わりに天使、カンダタの代わりに意地の悪いおばあさんとなっており、蜘蛛の糸の代わりにネギが出てきます。

また、芥川龍之介の小説のモチーフとしてよく用いられるのが「エゴイズム」です。

日本語に訳すと「利己心(りこしん)」です。

意味は自分だけよけばそれでいいというような考え方のことをいいます。

カンダタは自分が向上して正義の尊い道に入ろうというまじめな願いを持てなかったわけです。

だから、まじめな願いが蜘蛛の糸のような細くたよりないものであっても、それが奇跡を起こせる(地獄から極楽に行ける)という力を知り得なかったのです。

奇跡を起こす力というのは、蜘蛛の糸のように細く頼りないけれども、多くの人々を運ぶことができるのだという力が存在することを。

だが、いったん心に「この糸は私のものだ。だれにも上らせないぞ」という、幸福を独り占めにして誰にも分けてやるまいという気持ちを持ったとたんに、糸は切れてしまいます。

お釈迦様が悲しい顔をなさったのはなぜなのでしょう。

そこのところまで読み込むことができるかどうかが、蜘蛛の糸で読書感想文を書く最重要課題になると思われます。

楢山節考

楢山節考  深沢七郎著

楢山節考

楢山節考のあらすじ

山々がつらなっている奥地に村がある。
一年の中でごちそうを食べるのは一度。
楢山祭りのときだけである。
その日だけは白萩様(白米)を食べることができるのだ。

その村では、人間は70歳になると楢山に捨てなければならない。
これは、むごいことにも思われるが、食料が過度に不足しているから、そうせざるをえないのである。

おりんという老婆が主人公だが、このおりんは、自ら楢山に(捨てられに)行こうと考えている型破りな女性である。

この村ではひ孫が生まれるのをみることは恥とされている。

おりんには辰平という息子がいるが、その嫁は昨年なくなっている。
おりんはもうすぐ楢山参りに行く自分のあとのことを考えると、息子になんとか後妻をみつけたいと思うが、なかなかみつからない。
そんなとき、おりんの実家から向こう村(おりんの生まれた村)に後家ができたという知らせが来、たまやんという女性が亡夫の四十九日も終わらない、楢山祭りの日に訪れる。

おりんは息子に無事後妻が決まって安心するが、すぐあとにもうひとり女が増える。
松やんという女性である。
この松やんは孫のけさ吉の子を宿していた。
松やんが子供を産んだら、おりんはひ孫を見ることになるのだ。
たまやんは子供が生まれたら裏の谷に捨ててくるから大丈夫だと言う。
けさ吉は、自分が捨ててくると言う。
そんなけさ吉に松やんは反対しない。
人が増えれば、それだけ食料が不足するのはみんな分かっているからだ。

あるとき、村のある家の主人が他人の家の食べ物を盗みに入る。
食べ物を盗むことは村では極悪人だった。それくらい食料が不足しているのである。
食べ物を盗んだら楢山様に謝るという制裁を受ける。
これは盗みに入った人間の家の食料をすべて他の村人で分け合ってしまうという制裁である。

辰平もたまやんも、おりんと末永く暮らしたいと思う。
しかし、それは食料事情の厳しいこの村では許されないことなのである。

おりんにとってはお山参り(老人を楢山に捨てにいくこと)は目標であって、悲惨なことでもなんでもない。
逆に、おりんの隣の家の又やんは70歳になっても楢山に行こうとしない。
しまいには、息子に縛り付け背負われたしょこの縄を食いちぎって逃げようとする。
しかし、翌日には又やんは米俵のようにぐるぐるまきにされ、七谷のところから落とされる。
それをおりんの楢山参りの供(おりんをしょこに背負って山に捨てに行くこと)の帰りの辰平が目撃する。

おりんが楢山参りに行った日、雪が降った。
これは大変好運なこととされていた。

**************
いわゆる姥捨て山伝説や棄婆伝説は今昔物語などにもみえるが、この楢山節考はそれらの悲壮感がまったくといいほどない。

子供を「ぶっちゃる」相談をするのもこの村では普通だし、老人を山に捨てることも普通のことである。

「おばあやんはいつ山に行くけえ」というけさ吉の質問における、おりんとたまやんとけさ吉のやりとりの場面では、笑い転げてさえいるのである。

そのあたり、いわゆる「この小説を読んで悲しい物語だと思いました」とか「老人を山に捨てることはよくないことだと思います」などという感想を書くようでは高得点はみこめないだろう。

********
短編集です。
その中に楢山節考が入っています。
短い話ですので、比較的読みやすいと思います。

読書感想文の書き方

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。