短編だし、話も淡々と進んでいくので大変に読みやすい。
太宰自身のことを書いたものなのかとも思えるのだが、一応ひとつの小説になっている限り、これはフィクションであると思って読んだ方が無難だと思う。
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桜桃
子よりも親が大事。という一文でこの小説は始まる。
主人公(太宰は)三畳間で妻子と食事をしている。
つまり、三畳間に主人公とその妻、長女、次女、長男が集まって食事をしているのである。
食事の最中、主人公はなんども鼻にかいた汗をぬぐう。それを指摘した妻に対しても、どこに一番汗をかくかと尋ねる。
主人公の妻は「お乳とお乳の間の涙の谷」と答える。
長女は7歳、長男は4歳、次女は生まれたばかりの1歳であるから、妻は、生まれたばかりの次女に乳を含ませながら、主人公と二人の子供の給仕をしているわけである。
その忙しなさに、主人公は「誰か人を雇う」ことをすすめる。妻は「なかなか来てくれる人もありませんから」と答えるのだが、それに対して主人公は「来てくれる人がないのではなく、いてくれる人がないのだろう」という言葉で、妻の人を使う能力があたかも低いかのようにあしらうのだった。
主人公は小説家なので、今夜中に仕上げなければならない仕事を抱えている。しかし、妻も妹の見舞いに行きたい。妻の妹は重病なのである。
妻が妹の見舞いに出かけるということは、一番したの子以外の面倒を主人公が見ていなければならないということである。一番したの子は妻がおんぶしていく。
そう考えた主人公は再び「人を雇っては……」と考えるのであった。主人公は自分で布団をあげたり配給のことなんかは全く関知しない、つまり家事については全くの無能だったからだ。
長女と次女は体調をくずしやすいけれど、とりあえず人並みだと主人公は考えている。
しかし四歳になる長男は言葉がまだ話せなかった。それどころか立って歩くこともできず、はいはいをしている状態だった。しかし、そのことについて夫婦で話し合うことはない。
主人公は、この長男が、ただ発達の遅れているだけの状態で、そのうちほかの普通の子と同じになればいいと思っている。自分たちの心配が杞憂であればよいと願っているのである。そして、母親は時々この長男をぎゅっと抱きしめるのだった。
主人公の妻は精一杯生きている。しかし主人公も精一杯生きているのだ。あまりたくさん書ける小説家ではなく、極度の小心者であるからやけ酒を飲む。
家族のために、もうすこしましな家に引っ越してあげたいと思うが、今のこの状態が、主人公にとっては精一杯なのである。母親のみならず、父親(主人公)もやはり精一杯生きているのだが、ほかのことには手が回らない。
生きるということは大変なことだと主人公は思う。
生きるということはあちこちから鎖がからまっていて、少しでも動くと血が噴き出すと考える。
もうここまで追いつめられた主人公はもはや仕事のことなど考えられない。
主人公は六畳間の机の引き出しから稿料の入っている封筒を取り出し袂に突っ込むと外に出て行く。
店にいくと桜桃が出される。
主人公の家では子供たちに贅沢なものは食べさせない。だからおそらく桜桃を見たこともない。食べさせたら喜ぶだろうと主人公は考える。桜桃のつるを糸でつないだら、珊瑚の首飾りのように見えるだろうとも思う。
しかし親は子よりも弱い。だから子よりも親が大事なのだ。
主人公はきわめてまずそうに桜桃を食べ、その種を吐き出し、心の中では虚勢のように、子よりも親の方が大事と思うのだった。
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この小説を読むポイントは3つにしぼられると思う。
ひとつは、主人公の妻が言った「涙の谷」の意味合い。
そしてふたつめは「子よりも親が大事」の意味。
三つ目は小説全体を通しての長男の役割。または家族の捉え方と言ってもいいかもしれない。特に桜桃を珊瑚の首飾りになぞえる主人公をどのように読み込むか。
これらはあくまでも私見なのだが、当たらずとも遠からじという気がする。
桜桃が収録されている一般的な文庫としては、人間失格,桜桃 新装版 (角川文庫 た 1-5)
斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇 (文春文庫)
















