読書感想文の書き方やおすすめの本を紹介しています。


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あらすじをだらだら書くことはしない

読書感想文というのは、文字通り読書をした感想を書くものです。

感想ですから、正しいとか間違っているとかいう評価はまず横においておきましょう。

あらすじというのは感想ではありません。

話がどのように展開したかというのは、極論をいうと読書感想文には関係ないことなのです。

あなたがその本を読んでどう思ったかということを書くのが読書感想文だからです。

あらすじを書きたくなる気持ちは、人に説明したくなる気持ちと似たようなものがあるかもしれませんが、ほかの人にわざわざ教えることはないのです。

読書感想文を書こうというような本を読んでいない方が悪いのです。

ですから、あなたの感想を書きましょう。

あらすじは必要のないことです。

本を読んであなたが想像したり感じたりした気持ちを文章にするのが、読書感想文です。

Amazonギフト券

読書感想文に限らず、読書というのはたいへん有意義なことです。


ですので、進学のお祝いなどには図書券が使われていました。


しかしながら、今はインターネットショップで書籍を買うことが多くなりましたし、その方が思い立ったときに買えるということで、便利さもあります。


相手が学生さんに限らず、なにかちょっとプレゼントしたいな、と思ったときに便利なのがAmazonギフト券です。


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贈り物に迷ったら、Amazonギフト券にしておくというのも便利だと思います。


また、家にいながら購入できるので、そういう点からも便利でいいですね。

人間失格で読書感想文を書く場合

太宰治の人間失格の文庫が、角川文庫と集英社で夏の特別バージョンかと思われる表紙で人気を集めている。


表紙に惹かれて、それまで太宰の「だ」の字にも興味を示したことのない人たちが、人間失格を題材として読書感想文を書きたがる気持ちは分かる。


購入動機の善し悪しは別にして、文学作品を読むことは大変よいことである。


改めて言っておく。太宰治人間失格は文学作品である。決して自伝ではない。そこのところを間違うと、とんでもないことになるので、よくそのことを頭に入れておくことが肝要である。


たしかに自伝的要素は見受けられるし、私小説的な要素も見受けられるかもしれない。


しかしながら、あくまでも小説である。しかも小説の構造としては、「入れ子」になっている。


まず、この人間失格という作品で読書感想文を書こうと思ったら、太宰の個人的な過去とかバックボーンはとりあえずおいておこう。


ふつうの小説として、文学作品として、夏目漱石や、芥川龍之介の作品を読むときと同じように読もう。


それと、これはあくまで個人的な意見なのだが、高校生ならばともかく、中学生がこの作品で読書感想文を書くのはかなり難解だと思う。そもそも、作品を読み込めないのではないかという疑念がある。このあたりは、個人的な読解能力によるので、一概には言えないが。


とりあえず、太宰治の人間失格という作品で読書感想文を書く際のポイントとなる事項を以下にあげていく。


あくまでもこれは私感なので、すべてが正しいというわけではない。


そのあたりの、完璧な正しさを求めるならば、太宰治の研究をしている学者の書籍なり、サイトなりを参考にしていただきたい。


ポイント1
人間失格という作品は「入れ子」構造になっていると先述した通り、登場人物の「私」が「葉蔵」の書いた日記を読むという体裁をとっている。そして、その日記は「葉蔵が出入りしていた店の女主人」のところに送られてきたものである。


ポイント2
葉蔵の日記自体は3部構成になっている。

第一部幼年時代
第二部中学時代から高等学校時代にかけて
第三部高等学校を追放されたあと


ポイント3
第一部の幼年時代について

「恥の多い生涯を送ってきた」という有名な言葉から始まる。

いったいなにが葉蔵にとっての「恥」だったのか。まず、それを考えながら読んでいく。

そして、裕福な家庭に育った葉蔵は「空腹すら知らなかった」幼年時代を送るのだが、彼にとっては人間の営みというものがよくわからない。

いってみれば、自分の幸福の観念と、世の中の幸福の観念が食い違っているとでもいえばよいのだろうか。そのことに大変な不安を持つのである。

不安というのは、内容はどうであれ子供がよく持つものであるが、ワーッと遊びに出てしまうと忘れてしまうことが多い。

しかし、葉蔵の不安はそんなものではなく、その不安のために夜も眠れず気がふれかけるようなものである。


ポイント4
不安と恐怖は幼年時代の葉蔵をおびやかす。葉蔵はなんとかそれから逃げようと、その方法を考える。

そしてその方法が「道化(どうげ)」であった。道下師といえばピエロのことである。つまり、おどけた楽天家として、ときには変人として行動することにする。

しかし、それは「装って」いるものであるから、イコール人を欺いていたわけである。

ちょっと、そのあたりのことを考えてもらいたい。

子供が、不安と恐怖にさいなまれ、ピエロとして朝から晩まで人を欺いている。どう考えても普通ではない。普通であれば、どこかでほころびが出るか、ピエロを演じる事自体に疲れたり、かなしくなったりはしないだろうか。

しかも、作品を読み続ければ分かるが、ピエロとして振る舞ったのはどうも幼年時代だけではないようなのである。


ポイント5
中学に入っても相変わら道化を続けていた葉蔵だが、その葉蔵に一大事件が起こる。

それまでだれにも見破られなかった、親兄弟にも見破られなかったのに、葉蔵の道化を見破る人間が現れるのである。

しかも、決して賢いとか利発とはいえない竹一という少年だった。

このときの葉蔵がどれくらい恐怖に打ちひしがれたか、それを考えてみることは重要である。

葉蔵は「震撼」という言葉を使って、そのときの気持ちを表している。この「震撼」の言葉の意味は重い。国語辞書に載っている意味以上のものがあると考えられないだろうか。

葉蔵は自分の道化を見破った竹一を避けるどころか、逆に近づいて手なづけてしまう。

この行動の意味は何を示しているのか。それを考えてみよう。


ポイント6
上京し、高等学校に入学した葉蔵は、画学生の堀木と知り合う。堀木とはかなり長い付き合いになる。

しかし、堀木はどうも葉蔵を利用価値を見いだしただけで、けっして友人ではなかったと思われる。

このあたりから葉蔵の人生が下り坂になっていくような気がするのだが、それと堀木には関係があるのかないのか、そのあたりも読み込んでみよう。


ポイント7
第三の手記
事件を起こした葉蔵は高等学校を追放になってしまう。家からも勘当されてしまう。

堀木の下宿で、シヅ子という子持ちの雑誌記者の女性と知り合い、一緒に暮らし始める。

シヅ子の娘にも葉蔵はなつかれ、「おとうちゃん」と呼ばれるような関係になるのだが、あるとき幼いシズ子の娘は悪気もなく本音を言ってしまう。

幼女には悪気がないから、その言葉は大変に重い。


ポイント8
シヅ子たちの生活を壊してしまうのではないかと思った葉蔵は、シヅ子のアパートを出て、行きつけの店の女店主のところに転がり込む。

そこで、雑用などをこなしながら、漫画のようなものを書いて生活していた。

店の向かい側にはヨシ子という看板娘のいる店があり、縁あって、ヨシ子を内縁の妻にする。内縁というのは、役所に届けを出さず、法的な籍を入れずに夫婦として暮らすことである。

ヨシ子は人を信じる天才だった。人間の悪意など彼女の頭の中には存在しないようである。

葉蔵はこまごまとした漫画を書きながら、糊口を凌いでいたので、出版社の人間が家に出入りすることもあった。

ある日、堀木が葉蔵を訪ねて来、二人でアパートの屋上にいって夕涼みをしている間、部屋にある出版社の男性が訪れた。

「ヨシ子が空豆を煮ている」という言葉を葉蔵から聞き、空豆をとりに部屋におりていった堀木は、出版社の男性とシヅ子との衝撃的な場面に遭遇してしまう。

しかも、それを止めに入るではなく、葉蔵をわざわざ呼びにいったため、葉蔵もそれを目撃することになる。

結局、それが引き金となって、葉蔵の生活は乱れ、再び事件を起こす。

堀木と、葉蔵の父が議員であったときの太鼓持ちをしていたヒラメとよばれる男性によって、葉蔵は入院させられてしまう。


ポイント9
「人間、失格。もはや、自分は完全に、人間でなくなりました。」という、これまた有名なことばで葉蔵の手記は終わっていた。

葉蔵は今も病院で療養生活を送っている。

「私」は店の女主人からこの手記を見せられて読んだのだ。

しかしながら、女主人は葉蔵のことを「神様みたいないい子でした」と表現するのだった。


ポイント10
この作品の論点をあげるとすれば以下のようになるだろう

1「世間」とはなにか
2 なにを以てして「人間失格」というのか
3 葉蔵は「人間失格」なのか
4 葉蔵は特別(異常)な人間なのか
5 女主人の「神様みたいな子でした」という言葉の意味
6 「恥の多い生涯」の「恥」とはなんなのか

この6つの論点を(もしくはこのうちのいくつかを)柱にして、読み込み、気がついたところをメモしながら読んでいくと、自分の「感想」というものが浮き上がってくると思う。


ただ、何度も言うけれど、作品としては中編くらいの長さだし、それほど読みにくいわけではない。


だからといって、一度読んで自分の考えをまとめるのは至難の業だと思う。


気になったところだけでも何度か読んでいると、だんだん霧の中から作品の本質が浮き上がってくるのがわかると思う。


そこまで分かれば、すくなくとも「ヤバい作品」「危ない作品」などという感想は出ないと思うのだが……。いかがなものだろうか。


私個人としては、過去の価値観がゆらぎ、圧倒されるくらいの偉大な作品だと思っています。


これほどの作品に巡り会ったことを幸運に考えて読んでみてください。


私のこの記事を最後まで読めた人ならば、大丈夫、すくなくとも及第点の読書感想文は書けます。



書籍紹介

これが松山ケンイチ氏が表紙を飾る角川文庫版です
人間失格,桜桃 新装版 (角川文庫 た 1-5)
人間失格,桜桃 新装版 (角川文庫 た 1-5)太宰 治

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stars作者の繊細さ
stars新鮮な気持ちで

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デスノートの小畑健氏のイラストが表紙を飾る集英社文庫版です
人間失格 (集英社文庫)
人間失格 (集英社文庫)太宰 治

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stars自分自身を感じること
stars表紙について
stars買って損なし、読んで損なし。
stars最低だよ
starsまだまだわかりません

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これは新潮文庫版です。いわゆるどこの本屋さんにも置いてあるオーソドックスな本です。
人間失格 (新潮文庫 (た-2-5))
人間失格 (新潮文庫 (た-2-5))太宰 治

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stars太宰治は俺を怒らせた
stars地獄・餓鬼・畜生
stars歌にたとえるなら、――「サウンド・オブ・サイレンス」
stars試金石
starsどんな思想書や哲学書よりも重くて、生きる知恵を与えてくれる

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マンガ版も集英社インターナショナルから出版されているのですが、これだけを読んで読書感想文を書いたところで、採点する先生にはばれてしまうでしょう。
読むにしても、参考程度、あるいはちゃんとした文章を読む前に、ざっと筋をとらえるために読むくらいでちょうどいいでしょう。
人間失格 (まんがで読破)
人間失格 (まんがで読破)太宰 治

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stars原作は読めませんでしたが、本書では完読しました
stars既読の方にも未読の方にもおすすめです
stars読破?
starsとっつきづらい名作はまず漫画から入る!、オススメです。
stars大人も読むといいかも

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土(長塚節著)についての着目点

長塚節の「土」という作品は、農民文学の最高峰と言われているものである。


ただし、この小説なかなかに読みにくい。


というか、ひたすら暗い話である。


なぜ、読みにくいと書いたかというと、登場人物がかなりいて、しかもそれぞれのキャラクターが立っているのである。


つまり、単純にだれが主人公なのかというのが分かりにくい。これについては、「『土』の主人公は、登場人物を取り巻く自然、風俗などすべてを含んだもの」という解釈をする人もいるくらいである。もしかするとそう考えるべきかもしれない。


ただし、読書感想文を書くとなるとやはり誰かを中心に据えないととらえどころのない冗長な物語に思えてしまうだろう。


この小説には展開らしい展開というものもないから余計なのである。


そういうことを鑑みながら、全体を通して、普通に考えると、おそらく主人公は勘次であろうと思われる。


ただ、お品が死ぬまでの場面はやはりお品の方がキャラクター性が高いような気がする。


お品は破傷風で死んでしまうので、お品を主人公から除外するとしても、おつぎの書かれ方が大変詳しいので、おつぎを中心に据えて読むことも可能だと思われる。


卯吉のキャラクターもかなりはっきりしているし、勘次と卯吉は始終反目しているのでその描写もかなり克明に記されている。


ただし、物語の終末で登場するのが勘次なので、勘次を中心に読んだ方が全体を理解しやすいかもしれない。


小説を書く技法として、「トリックスター」というものが使われることが多い。


というか、文学の一種常識的なものと考えることもできる重要なものである。


これは、主人公かどうかに限らずトリックスターは、社会秩序、文化秩序、道徳規範を破壊する存在として書かれることが一般的である。


では悪者なのかというと一概にそうとも言えない。


なぜなら、社会秩序、文化秩序および道徳的規範を破壊する一方で、文化の成立、秩序の確立をもたらすという役割を持っているからである。


いわゆる両義的存在である。


すると、このパターンに勘次はすっぽりとはまってしまっている気もするのだ。


もうひとつ、この「土」という作品全体を通してかなり重要な位置を占めているのが、地主の「お内儀さん」である。


地主の妻にしてはかなり仲裁者的な役割をしており、勘次をほぼ完全に支配している。


勘次もおつぎもお内儀さんには逆らうことができないし、またお内儀さんなしにはあらゆる社会生活もなりたたないくらい影響力が強い。


それは、物語の結末が、勘次とお内儀さんの会話になっていることでもよくわかる。


案外この「お内儀さん」の言葉や立場をどう読み取るかというのが、この作品を読む上での助けになると思われる。

蟹工船にみる現代日本のワーキングプア

ワーキングプアという言葉がだいぶ流布しているようです。


これは、「低賃金の労働者」という意味だそうで、おそらく和製英語と思われます。


このワーキングプアというのはまさしく小林多喜二の蟹工船改版に登場する労働者と同じではないか!!という論議があり、書店では蟹工船の文庫(新潮社版)が大々的に宣伝されています。


私はこのような現象を全く知らずに書店で乱立する文庫蟹工船を見て、いったい日本に何が起こったのだ!?と驚愕してしまいました。


昨年の同時期にはこんな現象はありませんでしたし、むしろ「読書感想文を書くために、蟹工船をぜひ読みたいと思う学生はまず少数派であると思うし、現代社会に照らし合わせて、教養の面をのぞくとプロレタリア文学というものに多大な興味を示すことも少ないだろう」と言ったような紹介文を読んだ記憶すらあります。


マンガ版の蟹工船も出版されていますが、もちろん、蟹工船を読むなら小説版を読むべきです。


ただし、最初にあらすじをとらえる目的でマンガ版を読むのはよいでしょう。


しかしながら、本気で蟹工船の読書感想文を書くつもりならば、絶対に小説を読まなければとらえられない部分があるのです。


それは労働者の悲惨さです。


マンガの方でも労働者の悲惨さは必ず書かれているはずです。


しかしながら、ビジュアルというのは大変に美しいのです。


絵はきれいすぎるのです。


小説をよみ、そこに出てくる労働者の悲惨さを自分の頭の中でイメージしない限り、蟹工船の読書感想文を書いたとは言えないでしょう。


職が欲しくて就職斡旋所(口入れ屋など)に行くのに、なんだかんだと引っ張り回されて、蟹工船に乗り込んだときには「借金ができている」労働者。


職にありつくために「借金するはめになる状態」、しかもそれが普通、そんなことは現代では考えられないでしょう。


仕事がつらくて逃げ出そうとする若者。見つけたら手ぬぐいなどが支給されてることをどうどうと書き出した張り紙。


見つかった青年は、泣き声も出なく、顔が土気色になるまで便所に閉じ込められる折檻。


食事は極貧を極め、時化のときは汁物も支給されずぽろぽろの飯だけ。同船の管理者はきちんとした食堂で、きちんとした食事をとっているのに。


栄養状態が悪いために続々と脚気になる船員労働者。


雑夫として乗り込んでいるのは、労働運動などという言葉は聞いたこともない東北地方寒村の「品行方正な少年」たち。


そして、大人の船員労働者と雑夫の少年のねじれた関係。


みんな「素直な」人間だ。それは大人も少年も変わりない。自分たちの乗っている蟹工船の脇を護衛するように進んでいく大日本帝国の美旗を掲げた船が、自分たちをロシアから守ってくれるために存在するのではなく、自分たちを監視しているのだということにも気づかない素直な人間たち。


その人間たちの食事は貧しく、労働時間は長く、最初は一日おきだった風呂が、ひと月に一回にされるような不潔な状態におかれているのである。


しかもそこには、錦の御旗がある。


「蟹工船はただの缶詰作りの船ではなく、ロシアと戦っているのだ。だから、すこしのことで不平を言ったりしてはいけない」


しかしながら、だんだんと自分たちの状況に気づいていく労働者たちがそこにいた。


てっきり波にさらわれたと思った蟹漁の小舟は、実はロシア領の村で助けられたのである。


「社会主義は怖い。よくないものだ」と日本で叩き込まれた難破者たちを土地の人は優しく世話する。


「いったいどういうことだ?」という疑問につけ込むように片言の日本語を話す中国人がロシア人の言うことを通訳し、それを最初は疑い深く、そして最後には「そうだ!そうだ!」と賛同してしまう。


社会の底辺にいる蟹工船労働者にとっては、プロレタリアというものの説明をされているうちに、「まったくその通りだ」と納得してしまうのである。これが日本で禁じられている「赤化(せきか)」と呼ばれるものだというのは、うすうす気づいている。


彼らは再び蟹工船に戻り、ロシア人に助けられたとき、どのような話を聞いたか仲間に事細かに話して聞かせる。そして、みなその話を熱心に聞く。ひとり、船頭だけはそれが「赤化」であると分かっていたので、それとなく注意するが、反対に労働者たちに脅される始末だ。


そして時期が来ると労働者は立ち上がる。


労働者が勝った。かに思えた。


しかしそのとき近寄ってきた大日本帝国の美旗を掲げた船は、自分たちを助けるために来たのではなく、労働者の代表者を逮捕するために来たのだ。


このとき初めて信じるものは自分たちだけだと再確認した蟹工船労働者たち。


彼らはもう一度立ち上がる。

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どうもこの蟹工船の労働者と現代の派遣の従業員を同一視するような傾向があるらしいが、はたしてそうだろうか?


それではあまりにも浅はかな知恵だと思う。


労働基準法があり、労働基準監督署があり、厚生労働省があり、裁判所がある現代の日本と、当時ではまったく労働者の意識は違うだろう。


「ワーキングプア=賃金が低い」という等式が成り立つにしても、賃金が低いことのみをとりあげて、「ワーキングプアの原点は蟹工船の労働者と同じだ」などとはいえない。


小林多喜二は綿密な取材をして、この蟹工船を書いた。そういう面では限りなくノンフィクションに近いフィクションだと私は解釈している。


小林多喜二が蟹工船を書くにあたって取材したのは「蟹工船」であり、他の悲惨な状況におかれている労働者たちすべてを取材したわけではない。


地下活動をしていた彼だから、さまざまなプロレアりアートの知識は持っていただろう。それらが蟹工船という小説の内部に生かされているとしても、短絡的にとらえると、読書感想文全体が底の浅いものになってしまう危険性があることに留意すべきであろう。

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小説では新潮社版が一般的ですが、小さな文字が苦手な方は、文字が大きい本も出版されています。

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追記 蟹工船は教科書でも扱うことの少ない、つまり触れる機会が極端に少なくなったプロレタリア文学です。しかしながら、小説自体はそれほど長いものではありませんし、昔独特の漢字仮名遣いもそれほど難解ではないので読みやすい小説の部類ではあると思います。

小説の登場人物と背景に着目する

小説には必ず登場人物(宮沢賢治作品のように登場するのが人間でないこともありますが)と物語がすすんでいく背景(場面)があります。


登場人物は小説の主題を発展させたり、ストーリーを展開するために出てきます。


ですから、登場人物の性格や行動または心理的なものについて多く描写されることが多くなります。


また、背景(場面)というのは、登場人物の行動する時代や場所、事件の展開する時代や場所のことですが、これらは現代とは限りません。また、私たちの住む実世界と同じとも限りません。(スウィフトのガリバー旅行記がよい例です)


この背景(場面)がどのようなものであるかによって、小説というフィクションの世界に真実性を与えているのです。


小説を読むときには漠然と読むのではなく、登場人物はだれなのか。またその中で主人公といえるのはだれなのかをとらえると読みやすいです。主人公をとらえることによって、主人公を際立たせる脇役の存在もとらえやすくなるからです。実はこの脇役の方が物語を読み込む上で重要なファクターになることも多いのです。


ストーリーが展開される時代については、ある程度予備知識を入れておくことも必要でしょう。


現代で通用する常識が時代によっては通用しないことは多々あります。また、国によって常識も違ってきます。


たとえば芥川龍之介の羅生門ならば、時代は平安期、場所は羅生門(実際には羅生門という場所はないので羅城門だと思っていいでしょう)と作品中に書いてあります。


平安期のいつかについては詳しく記述されていませんが、「当時はひととおりならず衰微していた」とありますから、どうも世の中が荒れていたころ、もしくは乱世であったこととが想像できます。


羅生門(羅城門)というのがなんなのか分かりにくいですが、とにかく平安時代なのですから、平安京のどこかであることは推測できます。


あとは、国語便覧などに平安京の概略図が掲載されていますから、それを見てみましょう。


すると、羅生門(羅城門)は平安京の南端にあることが分かります。


人々は大内裏に近いところに住んでいるでしょうから、大内裏からかなり離れた平安京の南端というと人々もあまり住んでいないような場所だということが分かります。


世の中が乱れている時代の、僻地ですから、あらゆる意味で荒廃しているだろうと想像できますね。


そうすると、登場人物である下人の心持ちもなんとなく寂しそうだなということがわかってきます。


そして、小説を読むときに案外助けになってくれるのが、登場人物の周囲の情景描写や自然描写です。


「雨は羅生門を包んで、遠くから、ざあっという音を集めてくる。夕闇はしだいに空を低くして、見上げると、門の屋根が、斜めに突き出した甍の先に、重たく薄暗い雲を支えている」


という部分を読むと、雨、夕闇、門の屋根といった「無生物」を擬人化することによって「動」のイメージが表現されています。それに対して下人は「雨やみを待ってい」るだけですから「静」のイメージですね。


本来であれば「動」くのは「人間」である下人なわけですから、「静」である下人には無気力感が漂ってきますし、無意志的な存在に見えてきます。


そして、「夕冷えのする京都は、もう火桶が欲しいほどの寒さである。風は門の柱と柱の間を、夕闇とともに遠慮なく吹き抜ける。丹塗りの柱にとまっていたきりぎりすも、もうどこかへ行ってしまった」という部分を読むと、「夕冷え」がし「風」も吹いていてたいへん寒く、さっきまで丹塗りの柱にとまっていた「きりぎりす」すらもどこかに行ってしまって、下人がたいへん孤独であることが分かります。


こうやって読んでいくと、登場人物と背景(場面)だけでも、登場人物の内的外的心理のかなりのことを読み取ることができます。

小説を構成する要素

小説というのはフィクションですが、それを書いた作家はなんらかの主張があってその小説を書いたはずです。まず、その点をしっかりと頭に刻んでおきましょう。


ます、小説を構成する要素として一番重要なのは主題(メインテーマ)といわれるものです。


主題とは、作者がその小説でいわんとしていることの中心となる思想のことです。ここに小説のポイントがあるといっても過言ではありません。


しかし、小説には「この小説の主題は○○です」などと親切には書いていませんから、いったい主題はなんなのか。この小説で作者はいったい読者に何を訴えかけているのかということを読み取ることが、読書感想文を書く上では必須条件です。


そして、主題の脇には副主題(サブテーマ)があることがあります。


これは、主題ほどは重要でないものの、主題を補うという意味ではたいへん重要な物ですし、主題を読み解く上で助けになってくれるような内容です。


そして、小説は筋によって進み、成り立って生きます。この筋のことをプロットといいます。


いわば、筋(プロット)とは、主題を最も効果的に表現するための仕組みで、筋は一般的に次のような順序でたてられていることが多いです。

1 発端……話のはじまり

2 展開……事件などが起こって、それがさまざまなふうに展開していく

3 頂点……クライマックス。または「やま」ともいわれる。映画などでいえば、ここが見せ場である。

4 結末……事件の結果。さまざまな事件がここで終止する


4には結末とありますが、必ずきちんとした説明がなされている場合だけではありません。


たとえば、樋口一葉には「にごりえ」という作品がありますが、この小説は最後の部分でヒロインのお力と源七の棺が町を出て行きます。しかしふたりの死については明示されていません。ですから、いいようによっては、たいへん曖昧でミステリアスな終わり方をしているのです。


これなどは、すべての解釈は読者にゆだねているわけです。


こういった点では「にごりえ」という短い小説は、大変に奥の深い小説といえるでしょう。


だからこそ、「にごりえ」のようなで読書感想文を書くと高得点が見込めるのも事実ではありますが。


いずれにしても、読書感想文を書くときには、その作品の主題がなんなのかを見極めるように読み込むのが大切です。

漢字の使い方

読書感想文においては、読んだ作品の中の漢字はそのまま使用します。


それ以外の部分の文章は、学校で学習した漢字であれば、なるべく漢字を使うようにします。


文字数を稼ごうとして、ひらがなを多用する人がいますが、ひらがなの多い文章というのは、読む側としては逆に大変読みにくいものです。


目安としては、小中学生は学校で習った漢字を使用し、高校生なら常用漢字になっているものは漢字で書くべきでしょう。


しかし、常用漢字表に載っていないような、特殊な漢字は使う必要がありません。


学年ごとに習得すべき漢字は、国語の教科書の巻末に一覧が掲載されているはずですから、それを参考にするのが一番便利でお金もかかりません。


また、塾に通っている方や家庭教師がついている方は、学年ごとの漢字暗記帳、漢字練習帳を使用しているでしょうから、それを参考にしてもよいと思います。


それ以外で一番大切なのは、漢字を正しく書くことです。


特に小中学生は、漢字の「とめ」や「はね」などをきちんと書かないと、読書感想文の点数がマイナスされてしまいますので、要注意です。


よくわからないときには、面倒くさがらずに辞書で確かめましょう。

記号の使い方

読書感想文は日本語で書きますから、使う文字は原則として漢字、ひらがな、カタカナです。

ただし、文章中にある外国語を引用する場合はそれにならいます。

宮沢賢治の修羅の春にはドイツ語が出てきますが、もし、その部分を引用するならば、本に書いてある通りにドイツ語を書きます。

文章を書く際、文字以外に記号も使います。

句点(。)、読点(、)、中点(・)、一重カギカッコ(「」)、二重カギカッコ(『』)、疑問符(?)、感嘆符(!)などです。

ただし、よほどの理由がない場合は疑問符や感嘆符は使いません。

というのは、もともと日本語には疑問符や感嘆符という記号がないからです。

もし、疑問符や感嘆符を使う場合には、それらも1マス分とりますが、その次にもう1マスあけてから続きを書きます。

引用の仕方

読書感想文を書いていく上で、本のある部分をそのまま抜き出して書く場合があります。

たとえば、夏目漱石の「こころ」という作品に、私がKに向かって言う言葉に

精神的に向上心のないものは、馬鹿だ

という大変有名な文句があります。

もしこの部分をそのまま抜き出したいならば、「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ」というように、一重カギカッコでくくります。

そうすると、読んでいる人は、「ああ、ここは引用の部分なんだな」と分かるわけです。

また、書名を文章中に書く場合には二重カギカッコ(『』)を使います。

その他、多々あることではありませんが、論文名を文章中に書く場合は一重カギカッコ(「」)を使います。

一重カギカッコをつけて引用した場合には、引用文の最後に句点がある場合は、やはりつけておく方が無難なようです。

読書感想文の文字数について

読書感想文は原稿用紙に書いて提出することが多いかと思います。

原稿用紙にもいくつか種類があって、一般に使われているのは400字詰め原稿用紙か200字詰め原稿用紙です。

とくに原稿用紙を指定されていないのなら、どちらで書いてもよいでしょう。

ただし、小中学生は400字詰め原稿用紙を使用することが多いです。

読書感想文の規定枚数は400字詰め原稿用紙3枚から5枚ということが多いのですが、文字数の目安は以下のように計算します。

400字詰め原稿用紙3枚以上ということでしたら、

400×3×0.8=960

つまり960字書かないといけないと考えます。

960字ですと、400字詰原稿用紙48行分ということでしょうか。(1行20文字として換算しています)

400字詰め原稿用紙5枚以内というときも

400×5×0.8=1600(字)

と計算します。

作文や記述問題の基本として、規定文字数の8割(80%)の文字数を満たすようにしましょう。

あとがきや解説だけを読んで書くことはやめる

本には本文のあとに、あとがきや解説という文章が含まれていることがあります。

あとがきというのは、その本を書いた著者が、本の出版に関して自分の著作に関する感想や、関係者の方々にお礼を述べたりする文章です。

解説というのはもっと専門的です。

解説を書くのは、評論家とよばれる人たちやほかの作家の方です。

解説というのは著者以外の文章の専門家が、専門的に評価したり、読後感を書いているのです。

それは大変高度なことが多く、また、本文と一見内容がかぶっていないかのような事柄にも触れています。

それは著作を歴史的にみた背景や、影響を受けた文学などにまで渡って解説しているからです。

つまり、この解説を読んだとしてもそこには本文の基本的な要素は抜けています。

基本的な内容はわかっているという前提で、解説を書いている人はその作品を論じているからです。

ですから、あとがきや解説だけを読んで読書感想文を書こうというのは間違ったやり方です。

また、それでは読書感想文は書けません。

なぜなら、あとがきや解説には本の内容以外のことが多く書かれていますし、解説を読んで書いたとしても、解説そのものに解説者の感想が含まれているので、あなたの読書感想文にはならないからです。

このところ、しっかりと押さえておかないと痛い目を見ますよ。

あとがきや解説だけを読んで読書感想文は書けませんし、また、そういったふうに書いた読書感想文はすぐにみやぶられてしまいます。(教師もそこまでバカではないのです。……と思いたい)

あとがきや解説だけを読んで書いたと思われるような読書感想文は評価の対象にならない可能性があります。

つまり点数がもらえないということも考えられるのです。

あぶない橋を渡るのはやめましょう。

読書感想文の書き方

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