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握手

井上ひさし著「握手」は講談社文庫「ナイン」に収録されています。

ナイン (講談社文庫)
ナイン (講談社文庫)


あらすじ

「わたし」は中学3年生の秋から高校を卒業するまで、ルロイ修道士が園長をつとめる天使園というカトリック系の児童養護施設に厄介になっていた。

戦争直後のことで、戦勝国である白人でもあるにもかかわらず、敗戦国の子供のために泥だらけになって畑仕事をし、野菜を作り鶏を育てているルロイ修道士を、園児は最初「日本人の子供をアメリカのサーカスに売るのだ」などどいぶかしがったが、それが違うことに気づくのに時間はかからなかった。

ルロイ修道士は本当であれば、終戦前に交換船でカナダに帰るはずだったのだが、日本の勝手な都合で交換船が廃止になり、丹沢に連れて行かれ、足柄茶やみかんを作らされる生活を余儀なくされていた。

カトリック者は日曜日の労働を禁じられていたが、日本軍はそれを認めない。それだけではなく、ルロイ修道士の左の人差し指を木槌でうちすえ、その結果ルロイ修道士のその指は変な具合に曲がり、正常な爪も生えてこなくなってしまった。

ルロイ修道士がカナダに帰国するまえの挨拶をしに、東京で働いている「わたし」を訪ねてきたときに、交換船の件などを謝ると、ルロイ修道士は「わたし」をたしなめるのだった。

上野公園の近くにある西洋料理屋でルロイ修道士と会った「わたし」は、彼が「おいしそうですね」といいながらも、目の前のオムレツにぜんぜん手を付けていないことに気づく。

「わたし」は昔、無断で天使園を抜け出してルロイ修道士の平手を食らったことなどを話す。「わたし」が天使園にいたころ、ルロイ修道士がこの仕草をするときは危険信号で、「おまえは悪い子だ」と怒鳴っているときだった。そして次に平手打が飛ぶ予兆でもあった。

「仕事はうまくいっていますか」というルロイ修道士の問いに「まあまあです」と答えると、ルロイ修道士は「困難は分割せよ」という言葉を「わたし」に与える。その言葉で、「わたし」はルロイ修道士の命が長くないことを知り、昔の教え子たちとのお別れの儀式のためにこうやって訪ね歩いていることが分かってきたのだった。

しかし、それを直接言う勇気のない「わたし」は、ルロイ修道士に日本で暮らしていて楽しかったことは何かと尋ねる。すると、彼は天使園で育った子供たちがこうやって世の中に出て一人前の働きをしているのを見ているときだと答えるのだった。

その話のつながりから、昔、春先の天使園の門前に捨て置かれた上川一雄という園児の話が出る。彼は市営バスの運転手をしているのだが、ルロイ修道士が乗り合わせると、停留所でもないのに、天使園の前にバスを止めるだのという。「上川くんはいけない運転手だけれど、そういうときがわたしには一等たのしいですね」とルロイ修道士は言うのだった。

逆に悲しいのは、天使園で育った子が大人になって結婚し、子供が生まれ、離婚し、その子供が重荷になって天使園に預けにくるためにくることだと言う。

ルロイ修道士は別れ際、右の人差し指に中指をからめて掲げた。これは「幸運を祈る」「しっかりおやり」という意味の彼特有の指言葉だった。

「わたし」は最後に死ぬことが怖くないかとルロイ修道士に尋ねると、彼はすこし赤くなりながらも、今まで神様を信じてきたこと、天国があると信じていること、にぎやかな天国に行くと思う方がよほど楽しいという趣旨の言葉を「わたし」に述べる。「わたし」は「分かりました」という言葉のかわりに右の親指を立て、ルロイ修道士の手を取って、しっかりと握り、腕を上下にはげしくふるのだった。

上野公園の葉桜が散るころ、ルロイ修道士は仙台の修道院でなくなり、もうすぐ一周忌である。葬式で「わたし」たちに会って回っていたころのルロイ修道士は、身体中が悪い腫瘍の巣になっていたことを聞いたとき、「わたし」は知らぬ間に両手の人差し指を交差させ、せわしく打ち付けていた。

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短い話ですが、一読する価値はあります。

教科書にも載っている話なので、知っている人も多いと思います。

私個人としては、この小説の「核」になっているのはアガペー(愛)だと思っています。その愛は見返りを求めず、愛するものたちのために与える愛です。ですから、ルロイ修道士の愛は園児たちに通じましたし、園児たちはそれを感じることができたのではないでしょうか。

読書感想文の書き方

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