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蟹工船

国内プロレタリア文学の最高峰である、小林多喜二著 蟹工船のあらすじです。

蟹工船・党生活者 (新潮文庫) 小林多喜二


あらすじ

冒頭は「地獄さ行ぐんだで!」というなんとも奇妙な台詞から始まる。


蟹工船博光丸は、函館港を出発しカムサッカへ向かう。蟹工船というのはカニをとり、それを缶詰に加工する船のことである。船としては「工船」という工場扱いなので、「航海法」は適用されない。だから、船とはいっても、もうそうとう老朽化している船の外面だけをけばけばしく飾り立てたものなのだ。


「糞壷」のような臭気の漂う船底は、当時の貧困層の代名詞とでもいえる、炭坑労働者、貧農民、工場労働者、貧乏学生などでひしめいていた。年齢はさまざまであるが、年少者は、お金があればまだ学校に行っているはずの15〜16歳の雑夫だった。


時代的には、ロシア革命が成功して、ロシアが共産化してからそれほど時間が経っていないらし頃らしい。


時代的に天皇陛下が一番偉いのであるという認識が船内労働者すべてにあるのだが、天皇陛下は雲の上の存在であるから、船で一番偉いのは作業監督の浅川である。蟹工船の物語中唯一「名前」があるのは彼だけである。ほかの労働者及び船内で働くものすべてには固有名詞がない。


浅川は、自分の船が成績を上げるためには、人の命など何とも思わない。事実同じ蟹工船の秩父丸が沈没寸前になり、何度も何度もSOSの無線を送ってくるのだが、救助に向かおうとする船長にすら、それを無視させて、結局秩父丸(乗員425人)は沈没する。


浅川の言い分は、「秩父丸には勿体ないほどの保険がつけてあるんだ。ボロ船だ、沈んだら、かえって得するんだ」というものであった。


やがて蟹漁が始まり、博光丸の漁猟高が他船に負けていることを知った浅川は、働きの少ないものに容赦なく「焼き」をいれるようになる。仕事中に倒れるものには「仮病だろう」と言いがかりをつけ水をぶっかけ、麻縄で締め上げて見せしめにもした。


労働者たちは、だんだん浅川に対する憎悪を募らせていくことになる。彼らは「糞壷」のなかで互いの境遇を語り合ううちに、自分たちが金持ちに搾取される存在であることに気づく。


浅川は、他船が目印に残したブイの数字をカンナで削らせて分からなくさせたり、他船の網も勝手に引き上げてまで漁猟高を増やすこともやった。


海が荒れた日に行方不明になった川崎船(博光丸から出される漁猟用のもっと小さな船)が戻ってきた。彼らはカムサッカの岸に打ち上げられ、ロシア人に手厚く看病されて回復してから戻ってきたのだ。彼らは「赤化」を受けていた。カムサッカから帰る日に、ロシア人と日本語の分かる中国人と話す機会があり、自分たちがプロレタリアという存在であることを知ったのだ。それらの話を船底で仲間たちにすると、労働者たちは一様に目を輝かせて話に聞き入っていく。それを「危ない」と感じた船頭がその話題を無理にやめさせた。


やがて、自発的発生的に「サボ」が始まった。ただしサボタージュといっても、全く仕事をしないわけではなく、「身体を楽に使う」という意味でしかなかった。


ある日、とうとう船内に死者が出た。船内のまずしい食事と衛生環境(最初は2日に一度だった風呂が月に二度になっていた)で脚気にかかった27歳の若者だった。浅川は「病気のものだけ」にお通夜の許可を出したが、労働者たちは翌日「サボ」ってでもという気持ちでお通夜に出席する。聖職者がいないので、彼らの中で経を覚えていたものが、切れ切れに経を唱えた。船長と船医が1時間ほど出席した。


浅川はお通夜には出席せず、翌日には麻袋に入れて死んだ若者を勝手に海に投げ込ませた。みなの心の中に、若者は死んだのではなくて、殺されたのだという意識がわいてくる。


サボタージュの足並みがそろった。みながみんな「サボ」を行っているので、浅川もなす術がない。すると今度はピストルを散らすかせ始めた。そして大しけの日、浅川が洋上での作業を強行しようとしたことがきっかけとなって、労働者たちはストライキに突入した。このとき、労働者たちは、博光丸を守るように浮かんでいる、帝国海軍の駆逐艦が自分たちの味方だと思っていた。国は臣民(労働者)の味方だと思っていたのである。


労働者の代表9人が「要求条項」と「誓約書」を浅川に叩き付けるが、浅川はそれほど驚いた風はない。ただ「色よい返事をする」と言っただけだった。完全に労働者の勝利だと思われた。


だだ、その日の夕刻、帝国海軍の駆逐艦がやってくると、ストライキの首謀者は捕らえられた。労働者たちは彼らの本当の「敵」が浅川などではなく、軍隊をも手先にする資本家であることを知らされた。


「俺達には、俺達しか、味方が無えんだな。始めて分った」と知った労働者達は立ち上がった。もう一度!


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この小説の最後には「附記」としていくつかのことが述べられている。

1 二度目の完全な「サボ」は成功したこと。

2 函館へ帰港したとき「サボ」やストライキをやったのは博光丸だけではなかったということ。いくつかの船から「赤化宣伝」のパンフレットが出てきたこと。

3 監督や雑夫長等が、会社に慈悲もかけられず涙銭一文ももらうことなく首になったこと。

4 「組織」や「闘争」という言葉を初めて知った偉大な経験を荷なって、漁夫、年若い雑夫等が、警察の門からいろいろな労働の層へ、それぞれ入り込んでいったということ。


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蟹工船は小説ですが、小林多喜二は本作を著するにあたり、実際に蟹工船内で起きた事件を綿密に取材して書いたものであるので、少々ノンフィクションの要素もあります。


そのノンフィクションの要素というのは本作品内に出てくる想像を絶するような労働現場のシーンや、労働者たちが受ける生々しいほどのグロテスクな仕打ちのシーンに裏付けられていると思います。


1933年、特高警察に逮捕され、拷問死をとげた小林多喜二は、そのとき29歳でした。


「我々の芸術は、飯を食えない人にとっての料理の本であってはならぬ」


生前そのように述べていた氏は「飯を食えない人」たちのために命を捧げたと言えるのかもしれません。


時代状況が変化してしまった現在では、本作はリアルなものとはほど遠いものがあります。しかし本作から伝わってくる氏の社会主義への熱い思いは、時代を超えて人々に伝わるのかもしれません。だからこそ、読み続けられているのでしょう。

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