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楢山節考を読んで

楢山節考は、昔話だと「姥捨て山」といわれる話だと思う。


私は読書感想文を書くために、楢山節考を実際に読むまでは、悲惨な話だなという感じしか受けなかった。


つまり、昔は貧しくて、なるべく食い扶持をもたせるために、体が弱って仕事のできないような年寄りを山に捨てる習慣があった。それはひどい話だ。昔はひどい時代だったんだ。というような通り一辺倒の感想しか持っていなかった。


しかし、今回は読書感想文を書くにあたって、数回読み返した。


それは、短いからすぐに読めるという理由もあったが、どうしてもとらえようのない曖昧なものがあって、なんとかそれを文字にしたかったからである。


実は、最初読んだとき、この話が大嫌いだった。それが何度も読み返すうちに、なぜかこの話が大好きになっている。


これはどうしてかと冷静に考えてみると、楢山節考の本筋は「かわいそう」とか「ひどい」とは違うところにあるんじゃないかということに思いあたったからだ。


主人公のおりんの住んでる村はたしかに貧しい。


でも、これをよくよく考えてみると、昔の日本の田舎というのは、みんなこんな感じに貧しかったのではないかと思えてくる。

どんなに貧しくても、ひもじくても、それでも年に1回は7月に楢山祭りがあって、そのときはごちそうが出るから、みんなが楽しみにしてたりするところは、昔の日本という面をとらえる上で、とても現実的な気がするのだ。


つまり、これは明らかに、ハレとケの区別がついているということでもある。


現代はハレとケの区別が付きにくい生活風習になっているというが、極端に食物が足りないという、今に生きる私から見たら非常に悲惨な状態だからこそハレとケの区別がつきやすいのかもしれない。


おりんが嫌っていることの最たるものに、ねずみっこ(ひ孫)を見るということがある。それは恥だという概念というか考え方がある。


今は長生きすることはよいこととされて、ひ孫を見るということは幸福なことだという価値観の人が多いと思うし、少子化の問題を考えても、子供を産むことは奨励されることのような感がある。


しかし、楢山節考の世界ではそれは恥とされる。


また、結婚するのは30歳でも遅くないという考え方もある。


昔は今よりも平均寿命がずっと短かったわけだから、結婚する年齢もその分若くて普通のような気がするが、食料の乏しさ故に、家族がなるべく増えないような晩婚の方がよいという考え方だ。


このような考え方は楢山節考独特のものなのかとも思ったけれど、たしかフランス革命前だって、フランスの農民はみんなそうだったという話を思い出した。


ヨーロッパなどで16歳くらいで嫁ぐのは、それは政略結婚だった。


早く結婚したら、それだけはやく子供が生まれて、そうすると家族が増える分だけ食い扶持が苦しくなるから、なるべく結婚を遅らせるというのが貧しい農民たちの生き方だった。


これは、ある種、その時代その時代の美徳だと思う。


時代と場所がちがえば考え方が違うのも当たり前だ。それを考えれば、楢山節考の話が格別に悲惨だという考え方にも疑問がわいてきた。


というのも、そういう人のいう悲惨な状況、つまり食料が乏しい故に老人を山に捨てるという習慣は悲惨だとして、実際、おりんなどの登場人物ににその悲惨さがあるのかといえば、それは逆なのだ。


おりんにもおりんの家族にも、その悲惨さが必要以上にはない。


孫のけさ吉が「楢山参りは早い方がいいよ早い方がいいよ」って言うと息子の後妻のお玉さんが「遅い方がいいよ、遅い方がいいよ」ってちゃんと合いの手を入れて、みんなで笑い転げてる場面がある。


悲惨さを打ち消すために無理して笑うという行為もあるだろうけれど、どうもそうとは思われない。


それに、おりん自身に悲壮感がない。


「楢山様に参るときには、きれいな年寄りの姿で行きたいから」数多く残っている「みっともない」自分の歯を火打石や石臼で折って、何年も前から筵の準備をして、楢山参りの前の振る舞い酒も用意している。


それを彼女は誇りにしている。


こういう場面を読むと、彼女が「仕方なしに」楢山参りという習慣に屈しているとはどうしても思われないのだ。


事実、銭屋の老人又やんは、行きたくなくて、1度は縄を切って逃げ出して、2度目には背負子に芋だわらのように縛り付けられて楢山参りすることになる。


このおりんと又やんの対比は、そんな時代であってもみんながみんな同じ考えではなかったという証拠のような気がする。


価値観の多様化というのは現在のみの所産ではなくて、幅の狭さはあったかもしれないけれど、昔の日本にもあったものなのではないだろうか。


おりんは「きれいな年寄りのすがたで」楢山参りしたかった。


そういう考えというのは、まるで恋いこがれている人のところに行くみたいだと思う。


そして、自分のときには「ぜったいに雪が降る」と言うおりんには、「ぜったいにきれいな年寄りとして楢山参りをするんだ」という信念すら感じられる。


こういったことを考えながら、この作品を何度も読んでいくと、悲惨とか、惨めとか、貧しいとかいうものは、2番3番の要素であって、絶対にそれが主題ではないと思えてくるのだ。


楢山節考や姥捨て山伝説イコール昔の悲惨な出来事という公式をなりたたせてしまったら、きっとおりんは怒るのではないだろうか。


何度も読み直してみて、ただひとつだけいえるのは、おりんはきっと楢山の神様に会えたのだろうなということだけだ。

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「楢山節考を読んで」というオーソドックスな題以外では「ねずみっこ」という題名もなかなかよいのではないかと思います。

読書感想文の書き方

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