蜘蛛の糸・杜子春

杜子春のあらすじ
杜子春は中国唐王朝時代の若者です。
もともと金満家の家の息子だったのですが、放蕩の限りを尽くし、今では夜ねる場所にもこと欠く始末です。
そんな困り果てた夕方、老人に会いました。
その老人のいう通りにすると、再び杜子春はお金持ちになることができました。
お金持ちになると、人がたくさんよってきます。
杜子春はお金をどんどん使いましたから、せっかく与えられたお金も使い尽くしてしまいます。
そうすると、それまでやいのやいのと寄って来た人たちはみな杜子春に見向きもしないようになってしまいました。
そして、結局またお金に困る生活になってしまいます。
するとまた老人が杜子春の前に現れ、老人のいう通りにすると、再びお金持ちになりました。
お金持ちになるとまた人はよってきますが、そうやってまたお金を使い尽くすと人は自分から去っていき、見向きもしなくなります。
杜子春は二度もこのような経験をしましたから、もうお金持ちになりたいという気持ちはなくなってしまいました。
そんな杜子春の前に再度老人が現れますが、杜子春はその老人が仙人であることを見破り、弟子にしてくれるように頼みます。
老人は峨眉山(がびざん)にすんでいる鉄冠子という仙人なのでした。
仙人は杜子春が仙人になれるかどうかは別にして、一応峨眉山に連れて行きます。
そこで、杜子春は仙人になれるかどいうかを試されることになりました。
仙人になる試験は、どんなことが起ころうとも決して声を出さないというものでした。
仙人が西王母(せいおうぼ)に会いにいっている間、さまざまな魔物が杜子春を襲います。
しかし、杜子春は決して声を出しませんでした。
最後の最後、閻魔大王がなんとか杜子春に声を出させようと、畜生道に落ちている杜子春の父母を目の前につれてきます。
杜子春の父母は馬になって畜生道にいるのでした。
閻魔大王は鬼たちに命じて杜子春の父母を鉄の鞭で打たせませす。
その度に馬になった父母はいななき、皮は痛々しく破れます。
それでも杜子春は声を出しませんでした。
そのとき、母親の声が聞こえてきました。
「心配しなくていいよ。お前が仙人になるためなら、お母さんは大丈夫だから黙っておいで。」
その言葉を聞いて杜子春はついに「お母さん」という言葉を口にしてしまいます。
杜子春はそうして仙人になる試験に落ちてしまいました。
仙人はもしそのときになっても杜子春が何も言わなかったら切り殺そうと思っていたのです。
杜子春は、何になっても正直な生き方をしたいと思うようになりました。
仙人は、もう二度と杜子春の前に現れることがないことを告げたあと、泰山のふもとにある家と畑を杜子春にあたえました。
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杜子春は中国の「杜子春伝」という話が元になっています。
杜子春伝と杜子春はほぼ内容が同じなのですが、決定的に違うのがラストシーンです。
杜子春伝の方は、杜子春が仙人になるための試験として、喜、怒、哀、懼(く)、悪、の六つの欲の六情には負けませんでしたが、最後の「愛」の試験に落ちてしまい、仙人になるための薬がつくれなく、杜子春も仙人になれなかった、というふうに終わります。
しかし、芥川の杜子春は「愛欲」の試験に耐えられるようならば、即座に命を絶ってしまおうと仙人にいわせています。
ここでの仙人と杜子春の心情としては、仙人になるよりは平凡な愛のある世界に生きる方が幸せなのだということをしらしませています。
ちなみに、最後に仙人が杜子春に与えた家畑のある泰山というのは、霊山として有名な場所です。
そして、仙人は最後に「今頃は桃の花が一面に咲いているだろう」と言っています。
仙人というのは、道教の思想や伝承と結びつき、とりわけ仙人思想というものがあります。
仙人になるために食べる霊力のある桃の実や、西王母伝説の不老不死の仙桃、また霊山として有名な泰山という場所にある家畑とという言葉の関連から考えると、「桃の花が一面に咲いているだろう」という仙人の言葉はなんとも含みのあるものに思われます。
