蜘蛛の糸・杜子春

蜘蛛の糸のあらすじ
ある日お釈迦様が極楽の蓮の池のふちをお歩きになっていた。
蓮の池のずっと下は地獄であるから、水面を通して地獄も見ることができる。
すると、罪人たちはみな血の海や、針の山に苛(さいな)まれていた。
罪人たちは、泣くことも叫ぶこともできないくらい気力も体力も失っている。
そんな中にカンダタという男がいるのを、お釈迦様はご覧になった。
カンダタは悪事をしつくした大悪党だったけれど、一つだけよいことをしたことがあるのをお釈迦様は思い出されたのだ。
カンダタは一度蜘蛛の命を助けたのだ。
それを思い出したお釈迦様は、できることならカンダタを救ってあげたいと思い、蓮の池にいた銀色の糸を出している蜘蛛を見つけた。
その銀色の蜘蛛の糸をすうっと、下に垂らしておあげになったのである。
カンダタは上からなにやら細い糸が降りてくるのに気づいた。
もしかしたら、この蜘蛛の糸を上って行けば地獄から抜け出せるかもしれないと思ったカンダタは、必死の思いで糸を上って行く。
しばらく上ったところで下をみると、糸をみつけた罪人たちがたくさん上ってくるではないか。
こんなにたくさんの人間がぶら下がっていてはこの細い糸は切れてしまうと思ったカンダタは、この糸が自分のものであることを主張し、上ってくる罪人たちを蹴落とそうとする。
そのとき、蜘蛛の糸はぷつんと切れてしまった。
お釈迦様はその光景をみて何も言わず悲しいお顔をなさった。
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昔話として、紙芝居や絵本で、だれでも一度は聞いたり読んだりしたことのある話だと思います。
カンダタという名前は仏典には出てくるのですが、蜘蛛の糸の話のもとになるような説話などは仏典には出てきません。
ポール=ケーラスという外国の作家の「KARMA」という本の中に収められた‘The Spider Web’(蜘蛛の糸)が元になったようです。
この作品はノーベル文学賞作家のトルストイの目にとまってロシア語訳されたのちに日本語訳もなされました。
その日本語訳の本を参考にしたようです。
また、ロシアの民話の中に蜘蛛の糸に似た話があります。
登場人物は、お釈迦様の代わりに天使、カンダタの代わりに意地の悪いおばあさんとなっており、蜘蛛の糸の代わりにネギが出てきます。
また、芥川龍之介の小説のモチーフとしてよく用いられるのが「エゴイズム」です。
日本語に訳すと「利己心(りこしん)」です。
意味は自分だけよけばそれでいいというような考え方のことをいいます。
カンダタは自分が向上して正義の尊い道に入ろうというまじめな願いを持てなかったわけです。
だから、まじめな願いが蜘蛛の糸のような細くたよりないものであっても、それが奇跡を起こせる(地獄から極楽に行ける)という力を知り得なかったのです。
奇跡を起こす力というのは、蜘蛛の糸のように細く頼りないけれども、多くの人々を運ぶことができるのだという力が存在することを。
だが、いったん心に「この糸は私のものだ。だれにも上らせないぞ」という、幸福を独り占めにして誰にも分けてやるまいという気持ちを持ったとたんに、糸は切れてしまいます。
お釈迦様が悲しい顔をなさったのはなぜなのでしょう。
そこのところまで読み込むことができるかどうかが、蜘蛛の糸で読書感想文を書く最重要課題になると思われます。
