あらすじ
日本に派遣されていたフェレイラ司祭からの音信が絶えた。不明確な情報としては、フェレイラ師が拷問に耐えきれなくて改宗したというものだった。
ロドリゴ司祭、ガルペス司祭ら3人の司祭は教会が止めるのにも耳を貸さず、日本に渡ることを決意する。
船旅の途中で、司祭の一人が病に倒れ、結局日本に足を踏み入れた司祭は、ロドリゴとガルペスだけだった。
2人は船の中でキチジローという青年と出会う。キチジローは弱気な青年だが、海が荒れたりするたびにマリアの祈りを述べることがあった。それをみたガルペスは、キチジローにキリスト教徒なのかと尋ねるが、キチジローは否定する。
海岸にロドリゴとガルペスを迎えにきたのは、トモギ村のキリシタンだった。ロドリゴとガルペスはトモギ村の村人達が、どのように信仰を守っているかということに驚きながらも、トモギ村のキリシタン達に世話になりながら日本での暮らしを始める。
実はキチジローはトモギ村の村人だったのだが、転んだことがある(踏み絵を踏んだことを意味し、改宗したことを意味する)のだった。
ロドリゴとガルペスが日本に渡ってこられたのは、まるで自分のことのように自慢するキチジローであるが、その反面、キチジローは役人にロドリゴ達の居場所を知らせたりして司祭達を裏切るのだった。
ロドリゴとガルペスが役人に捕まるが、同じくとらえられたキリシタンの村民は拷問によって命を落とす。
司祭達を何度も裏切りだますキチジローであるが、それなのにロドリゴに懺悔しようと何度もロドリゴの前に現れるキチジローを、ロドリゴは軽蔑する。
キリシタンが拷問される様子を見ながら、ロドリゴはキリシタン達に「転んでもいい、転んでもいい」と思いながらも、棄教してはいけないと思うジレンマにさいなまれる。
あるキリシタンがこもに巻かれて海に投げ込まれたとき、ガルペスはいても立ってもいられず、海に駆け込んでいき、波に飲まれて死んでしまう。
ある日長崎奉行所のはからいで、フェレイラ師と対面することになるが、フェレイラ師は既に司祭の姿ではなく、僧形になっていた。そして、耳の後ろにある引き攣れた傷をロドリゴに見せるのだ。それこそが穴吊りとよばれる拷問でできた傷だという。
フェレイラとロドリゴの師弟関係が戻ることはなかった。
それまでの比較的丁重な扱いから打って変わって、馬小屋のようなところに閉じ込められたロドリゴは、暗闇の中で壁伝いに聖句が彫られているのを発見する。それはフェレイラが彫ったものだった。
また、外からいびきが絶えず聞こえてくるのに気づき、最初は役人が居眠りをしているのだろうと、一笑にふしていたが、その声はいびきなどではなく、穴吊りという拷問を受けている村人のうめき声だった。
拷問を受けている理由は、改宗させるためではなかった。
すでに穴吊りになっている者は転んでいたのだ。ロドリゴが改宗すれば、拷問にあっているものを助けるが、改宗しないのであれば、そのまま拷問を続けると役人にいわれる。
拷問を受けている村民を助けたければ、キリストのメダイを踏めといわれ、ついにロドリゴはキリストを踏んでしまう。
その後日本人の名前を与えられ、住まいを与えられたロドリゴのところに再びキチジローが姿を現す。
ロドリゴはそんなキチジローを「許す」のだった。
ポイント
沈黙という作品は、単に江戸時代のキリシタンを扱った作品というだけでなく、母親の真摯なカトリック信仰に背いてきた遠藤周作自身という背景も持っている。
著作は長編ではあるが、最初の方は書簡であるし、キリシタンやキリスト教に興味のある人ならば、ぐいぐいと引き込まれていく作品だと思われる。
この作品をもってして、遠藤周作氏がノーベル文学賞候補になったところをみても、読んでおいて損のない作品といえるだろう。
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